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ブラボーわが人生〈信仰体験〉
102歳の挑戦に元気をもらった話
第74回「信心のおかげ。ありがたいで。他に言いようがない」
十五夜に生まれた十五郎さん。1952年(昭和27年)の入会だ。
ある日、戸田先生と学会本部で懇談する機会があった。スケールの大きさに圧倒されたそうだ。帰り際に呼び止められた。
「大作に会っていきなさい」
麗さんがホワイトボードで尋ねる。
質問「池田先生の印象は」
沈黙。十五郎さんの目がだんだん赤くなる。震える唇をかみ締める。麗さんが手渡したティッシュで鼻をかむ。池田先生を思うだけで込み上げるのだろう。それが答えだった。やがて感嘆の口ぶりで「池田先生のおかげで、世界が、広宣流布が、できました」。
●時代を見つめた瞳
すぐに古里の熊本県天草に帰り、潮焼けした肌で折伏に走った。
ところが単車で転び、右腕の神経を断裂する。医師はさじを投げた。
「信心で治す」
並々ならぬものがあったのだろう。ぶらんぶらんになった右腕を見せて歩いた。
1年足らずで「不可能を可能にする信心」を体得したの蘇生劇に、多くの人が続いたそうだ。
あの日、池田先生とどんな話があったのかは分からない。
だが確かにいえることは、右腕が動かないと診断されても、100歳を超えてスマホなんてと反対されても、不可能といわれてこそ燃えるものがある。それが河内十五郎という男の骨格であり青春なのだ。
●御書の余白に書き込みがぎっしり
「じいちゃん、あの話してよ。3・16の話」
「豚汁がうまかった」
「じゃなくて、学園の卒業式の朝、話してくれたじゃん」
「豚汁がうまい……」
皆さん黙り込んだので補足すると、ご自身の日記に「日が経つにつれ、広布記念の日の意義が高まっていく」とあった(平成16年3月16日付)。
……あっ、十五郎さんがしゃべらなくても、日記という手があったか! タイムリーな言葉がないかとめくったら、あった。
「どんな世の中になろうとも、どんな不況が押し寄せてこようとも、御本尊様を絶対に疑うことなく、常に『臨終只今』との決意で、一歩一歩勇敢に進んでいきましょう」
御書の余白にもいろんなペンでぎっしり書き込みがしてある。
「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(御書234ページ)
そうだ、そうだ、とうなずきながら線を引く姿が浮かぶ。