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2020.10.2-6

2020年10月01日 (木) 09:55
2020.10.2-

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ブラボーわが人生〈信仰体験〉 
102歳の挑戦に元気をもらった話

第74回「信心のおかげ。ありがたいで。他に言いようがない」

十五夜に生まれた十五郎さん。1952年(昭和27年)の入会だ。
 ある日、戸田先生と学会本部で懇談する機会があった。スケールの大きさに圧倒されたそうだ。帰り際に呼び止められた。
 「大作に会っていきなさい」
 麗さんがホワイトボードで尋ねる。
  
 質問「池田先生の印象は」
  
 沈黙。十五郎さんの目がだんだん赤くなる。震える唇をかみ締める。麗さんが手渡したティッシュで鼻をかむ。池田先生を思うだけで込み上げるのだろう。それが答えだった。やがて感嘆の口ぶりで「池田先生のおかげで、世界が、広宣流布が、できました」。

●時代を見つめた瞳
  
 すぐに古里の熊本県天草に帰り、潮焼けした肌で折伏に走った。
 ところが単車で転び、右腕の神経を断裂する。医師はさじを投げた。
 「信心で治す」
 並々ならぬものがあったのだろう。ぶらんぶらんになった右腕を見せて歩いた。
 1年足らずで「不可能を可能にする信心」を体得したの蘇生劇に、多くの人が続いたそうだ。
 あの日、池田先生とどんな話があったのかは分からない。
 だが確かにいえることは、右腕が動かないと診断されても、100歳を超えてスマホなんてと反対されても、不可能といわれてこそ燃えるものがある。それが河内十五郎という男の骨格であり青春なのだ。
  
●御書の余白に書き込みがぎっしり
 「じいちゃん、あの話してよ。3・16の話」
 「豚汁がうまかった」
 「じゃなくて、学園の卒業式の朝、話してくれたじゃん」
 「豚汁がうまい……」
 皆さん黙り込んだので補足すると、ご自身の日記に「日が経つにつれ、広布記念の日の意義が高まっていく」とあった(平成16年3月16日付)。
 ……あっ、十五郎さんがしゃべらなくても、日記という手があったか! タイムリーな言葉がないかとめくったら、あった。
  
 「どんな世の中になろうとも、どんな不況が押し寄せてこようとも、御本尊様を絶対に疑うことなく、常に『臨終只今』との決意で、一歩一歩勇敢に進んでいきましょう」
  
 御書の余白にもいろんなペンでぎっしり書き込みがしてある。
 「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(御書234ページ)
 そうだ、そうだ、とうなずきながら線を引く姿が浮かぶ。


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