◎「新しき歴史を、この手で、断固、開くのだ」。世界広布への旅立ちを前に、32歳の池田先生の胸には決意の炎が燃え上がっていました。世界への広宣流布は日蓮大聖人の御遺命であるとともに、第二代会長戸田先生から託された使命でもありました。戸田先生は逝去の直前、池田先生に対して次のように語っています。「君の本当の舞台は世界だよ」「世界へ征くんだ」と??。機上の人となった池田先生の胸のポケットには恩師・戸田先生の写真がありました。
◎学徒出陣(がくとしゅつじん、旧字体:學徒出陣)とは、第二次世界大戦終盤の1943年(昭和18年)に兵力不足を補うため、高等教育機関に在籍する20歳(1944年10月以降は19歳)以上の文科系(および農学部農業経済学科などの一部の理系学部の)学生を在学途中で徴兵し出征させたことである。日本国内の学生だけでなく、当時日本国籍であった台湾人や朝鮮人、満州国や日本軍占領地、日系二世の学生も対象とされた。学徒動員と表記されることもある。
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0186〜0237 開目抄 0204:17〜0206:14
第30章 昔の弾訶を引証す
本文
何に況や所化の弟子の数難申す計りなし、無量の釈子は波瑠璃王に殺され千万の眷属は酔象にふまれ、華色比丘尼は提婆にがいせられ迦盧提尊者は馬糞にうづまれ目犍尊者は竹杖にがいせらる、其の上六師同心して阿闍世・婆斯匿王等に讒奏して云く「瞿曇は閻浮第一の大悪人なり、彼がいたる処は三災七難を前とす、大海の衆流をあつめ大山の衆木をあつめたるが・ごとし、瞿曇がところには衆悪をあつめたり、所謂迦葉・舎利弗・目連・須菩提等なり、人身を受けたる者は忠孝を先とすべし、彼等は瞿曇にすかされて父母の教訓をも用いず、家をいで王法の宣旨をも・そむいて山林にいたる、一国に跡をとどむべき者にはあらず、されば天には日月・衆星・変をなす地には衆夭さかんなり」なんど・うつたう
現代語訳
仏ですらこのとおりで、まして弟子たちの受けた迫害は申すまでもない。無量の弟子たちは波瑠璃王に殺され、千万の眷属は酔象に踏みにじられ、華色比丘尼は提婆に害せられ、迦廬提尊者は馬糞に埋められ、目連尊者は竹杖外道に殺害された。その上、六師外道は共謀して阿闍世王や婆斯匿王等に讒奏していわく「瞿曇(釈迦)は閻浮第一の大悪人である。かれが行くさきざきでは、三災七難が競い起こっている。それはあたかも大海にあらゆる河川の流れを集め、大山に衆木を集めているようなもので、釈迦のところにはあらゆる邪悪を集めている。いわゆる迦葉・舎利弗・目連・須菩提等がこの悪人の標本である。人間に生まれてきた以上は、忠孝をまず第一としなければならないのに、彼らは釈迦に迷わされて父母の教訓を用いることなく出家し、王法の宣旨にも背いて世を捨て、山林に遁れている。このような不忠不孝の者は、一国に跡をとどむべき者ではない。そのゆえに天には日月・衆星が変をなし、地には多くの不祥事が盛んに起きている」などといって訴えている。