???
安倍前首相インタビュー(下)
17年の解散判断「当たった」
先手打ち逆「桶狭間」に
日本経済新聞 朝刊 政治(4ページ)
2020/9/30 2:00
――12年12月の第2次安倍政権発足後、すぐに経済政策「アベノミクス」を打ち出しました。
「金融緩和、財政政策、成長戦略という3本の矢で空気が変わったのは事実だ。まず株価が先行し、行き過ぎた円高の中でどんどん海外に出て行った企業が皆、方針を変えることになった」
――当初2年で達成を目指した2%の物価目標は達成できていません。
「その本当の目的は名目GDP(国内総生産)を持続的に発展させ、常に投資がなされ、給料が上がっていく状況を作り出すことだ。同時に大事なのは雇用状況を良くすることだ。米大統領選でも世界でも何が問題になるかというと常に雇用だ。雇用は新たに400万人増やせた。目標は十分達成することができた」
――消費税増税の時期を2度延期しました。
「税率を上げることで税収が増えなければ意味がない。景気が腰折れしては元も子もない。あのとき延期した判断は間違っていなかった」
――政権復帰前の衆院選を含め、国政選挙で6連勝しました。
「自分で言うのもなんだが、衆院解散の判断で一番当たったのは17年秋の衆院選だ。森友・加計問題で責められ、支持率も少しずつ下がっていた。17年8月に支持率が少し上がった。独自の世論調査によると260議席ぐらいは取れそうだった。翌年の衆院議員の任期満了に近づけば負けかねない。それならどこかで勝負しようと考えた」
準備不足狙った
――当時、小池氏が率いる「都民ファーストの会」の国政進出が取り沙汰されていました。
「いちかばちか小池氏の準備が整っていないときに襲いかかるしかないと思った。自民党内でも反対された。結果として小池氏への支持が広がらず、自民党が284議席を得た。逆『桶狭間』という状況になった」
――小池氏が「希望の党」を結党したときはどう感じましたか。
「ヒヤッとした。17年9月25日に衆院解散を表明する記者会見を開いたが、同じ日に小池氏が『希望の党』を結党した。メディアでの扱いも小池氏の方が大きく、勢いが出そうな感じだった」
――衆参同日選挙は結局しませんでした。
「メリットは何か、だ。中選挙区制の時代は1選挙区に自民党から複数の候補者が出て、それぞれ個人の後援会があった。同日選にすれば、衆院の候補者が自分たちの後援会をフル稼働させ、参院の票を上積みできた」
「小選挙区制になり、特にいまの当選1〜3回議員で個人の後援会をつくっている人は少ない。そうなると参院選単独と衆参同日選で、参院選での票の出方はさほど変わらない。衆院で議席を減らすリスクをとる必要はないと考えた」
(政治部次長 島田学)