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【FINANCIAL TIMES】米中が強いる域外適用
チーフ・フォーリン・アフェアーズ・コメンテーター
ギデオン・ラックマン
日本経済新聞 朝刊 オピニオン(7ページ)
2020/9/30 2:00
ドイツの小さな町に米国の上院議員から1通の書簡が届く。「強固な法的、経済的制裁」を科すと通告する内容だ。英オックスフォード大学や米プリンストン大学では教授が小論文を匿名で提出するよう学生に指示する。中国の法律に違反したことで逮捕される可能性から身を守るためだ――。
ようこそ、これが法の域外適用の世界だ。米国と中国はともに次第に国内法の適用範囲を海外へ広げようとしている。外国企業と外国人に対して、米政府や中国政府の命令に従うことを強制しているのだ。こうした域外適用の台頭は、我々の長き友である「ルールに基づく国際秩序」の悲しい衰退を示す最新の兆候だ。これまで、少なくとも表向きには、世界の大国は他国と同じルールに従うふりをしてきた。
域外適用の世界には、超大国のためのルール、そしてそれ以外の国のための別のルールが存在する。これは世界の国際法学者たちが想定していた状況ではない。むしろ帝国が他国に不平等条約を押しつけた19世紀の治外法権によく似ている。
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自国の法律の域外適用を最も行使してきたのは米国だ。そのために、他国にない唯一にして最も重要な武器である、世界の準備通貨としての米ドルの地位を存分に利用してきた。
ドルが基軸通貨であるため、外国人は米国の金融システムを頻繁に利用せざるを得ない。そのため米国の法律に基づいて訴追されるリスクがある。また、米国が科す金融制裁は外国人を世界のどこにいても制裁の対象にできることも意味している。
オバマ前大統領の時代でさえ、米国は過去と比べても域外適用という権力の行使に熱心だった。2015年に国際サッカー連盟(FIFA)幹部が何人も汚職の疑いでスイスで逮捕された際、彼らは裁判を受けるために米国に身柄を引き渡された。幹部らは、汚職が疑われる金銭取引を米銀経由で処理する過ちを犯したのだった。
トランプ政権は、さらにより積極的に制裁のこん棒を振りかざしてきた。香港の民主化運動の締め付けを受け、米国は香港政府トップの林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官と政府関係者数人を制裁の標的にした。長官は最近、クレジットカードが使えないことがあると認めている。
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ロシアも米国の制裁の標的になっている。ここで登場するのが本文冒頭に出てきたドイツ北部のザスニッツ港だ。同港には今、論争を呼んでいる天然ガスパイプライン「ノルドストリーム2」の建設作業の仕上げにかかっているロシア船舶が停泊している。
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●米国はロシアと欧州を結ぶガスパイプラインの建設に圧力をかける=ロイター
これにトム・コットン、テッド・クルーズ、ロン・ジョンソン米上院議員が着目し、3氏は8月、ザスニッツの町と同プロジェクトに関与しているドイツ企業1社に書簡を送り、制裁を科すと通告した。ポンペオ米国務長官も7月、ノルドストリームに携わる企業に対し「今すぐ手を引かなければ、制裁の対象になりうる」と警告していた。
ドイツの政治家は、この圧力に激怒しているが、同時に不安も感じている。米国の法律に曖昧な点があるため、ノルドストリームに携わるドイツの銀行や法律事務所がすべて、米国の訴追対象になる可能性があるからだ。
トランプ政権が米国の法に基づく制裁を国外に適用した最も劇的な事例は、中国の通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)の孟晩舟副会長兼最高財務責任者(CFO)の逮捕だろう。
同氏は、米国の対イラン制裁に関連した法律違反の疑いで、カナダで身柄を拘束された。ファーウェイは、米国製半導体を同社に売ることを禁じた米国の法律の標的にもなっている。このために同社は次世代通信規格「5G」技術を全世界で展開することがはるかに難しくなっている。
中国では、域外適用という考えそのものが極めてデリケートな問題だ。19世紀に締結した不平等条約により、治外法権が適用された上海などの「租界」で大勢の外国人が暮らしていた時代を想起させるからだ。
だが、最近の中国はもはや、他国の法律を一方的に押し付けられる側ではない。今年6月に発表した新しい香港国家安全維持法の文言は極めて曖昧で適用範囲も広いため、海外で発言した外国人でさえ、中国で「国家転覆罪」の罪に問われる可能性がある。
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●中国は香港国家安全維持法の域外適用を狙う=ロイター
西側の大学は、この脅威を真剣に受け止めている。オックスフォード大学で中国政治を教えているパトリシア・ソーントン准教授は最近、同法から学生の身を守るために「彼らには匿名で課題を提出・発表してもらう」とツイートした。米国の大学の教授らも似たような対策を発表している。
最大の不安は、台湾や香港、新疆ウイグル自治区の問題をめぐり、中国人学生が中国政府の公式見解から逸脱したことで当局に通報され、罪を追及される可能性があることだ。大学の講座が発言内容を録音できるオンラインに移行するにつれ、このリスクは高まる一方だ。欧米の一部の学者やシンクタンク関係者も自らの身の安全を懸念しており、中国への渡航を拒んでいる。
中国が自国の法律の適用範囲を海外にも広げる試みは、言論統制から始まったが、そこで終わる見込みは薄い。中国は今、米国をまねて、中国の国家安全保障を脅かす外国企業を禁輸対象にする中国版「エンティティー・リスト」を策定している。
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米国、そして恐らく中国も、自国の法律を世界中で執行するだけの力を持っている。中規模以下の国には、そうしたことはできない。力がない国は、中国と米国の双方に不利な裁定を下してきたこともある世界貿易機関(WTO)などの国際的なルール策定機関をてこ入れして対抗する必要がある。
共通の国際ルールがなければ、第三国は次第に、米政府と中国政府が求めてくる、相反する域外適用の要求の板挟みになっていくかもしれない。そうした状況になれば、我々の世界はますます、古代ギリシャの歴史家トゥキディデスが指摘したような世界になっていく。
いわく「強者は好きなように振る舞い、弱者は耐えるしかないまま苦しむ」世界だ。