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【パクスなき世界】成長の女神 どこへ
コロナで消えた「平和と秩序」
日本経済新聞 朝刊
2020/9/7 2:00
世界は変わった。新型コロナウイルスの危機は格差の拡大や民主主義の動揺といった世界の矛盾をあぶり出した。経済の停滞や人口減、大国の対立。将来のことと高をくくっていた課題も前倒しで現実となってきた。古代ローマの平和と秩序の女神「パクス」が消え、20世紀型の価値観の再構築を問われている。あなたはどんな未来をつくりますか――。
「人々は同じ嵐に遭いながら同じ船に乗っていない」。米ニューヨーク市の市議イネツ・バロン氏は訴える。同市は新型コロナで約2万4千人もの死者を出した。
市内で最も所得水準の低いブロンクス区の死亡率を10万人あたりに当てはめると275。最も高所得のマンハッタン区の1.8倍だ。3月の都市封鎖後も低所得者が多い地区の住民は「収入を得るため外出し、ウイルスを家に持ち帰った」(同氏)。命の格差が開く。
危機は、成長の限界に直面する世界の現実を私たちに突きつけた。
古代ローマ、19世紀の英国、そして20世紀の米国。世界の繁栄をけん引する存在が経済や政治に秩序をもたらし、人々の思想の枠組みまで左右してきた。ローマの女神にちなみ、それぞれの時代の平和と安定を「パクス」と呼ぶ。だが今、成長を紡ぐ女神がいない。
パイが増えず、富の再分配が働かない。米国の潜在成長率は金融危機が起きた2008年に戦後初めて1%台に沈み、一定の教育を受けた25〜37歳の家計所得は18年に6万2千ドルと89年の水準を4千ドル下回った。「子は親より豊かになる」神話は崩れ、中間層が縮む。「米国は富裕層と低所得層からなる途上国型経済となった」(経済史家ピーター・テミン氏)
国際通貨基金(IMF)によると、先進国全体の実質成長率は1980年代、90年代の年平均3%から2010〜20年は同1%に沈む。低温経済が世界に広がり、格差への不満をテコに独裁や大衆迎合主義が民主主義をむしばむ。中国やロシアなど強権国家の台頭を許す隙が生じ「パクスなき世界」を混乱が覆う。
経済成長の柱の一つは人口増だった。18世紀以降の産業革命は生産性を高め、19世紀初めにやっと10億人に届いた世界人口はその後125年で20億人に達した。第2次大戦後の60年代に世界の人口増加率は2%を超え、日本などが高成長した。
すでに伸びは鈍り、今後の人口増の多くもアフリカが占める。世界人口は2100年の109億人を頂点に頭打ちとなる。コロナ禍はそんな転換期の人類を襲った。
経済のデジタル化も「長期停滞」の一因となる。今秋の上場へ準備する中国の金融会社、アント・グループ。企業価値は2000億ドル(約21兆円)と期待され、トヨタ自動車の時価総額に並ぶ。10億人超が使う決済アプリ「支付宝(アリペイ)」が価値の源泉だ。
組織を支えるのは技術者を中心に約1万7千人。トヨタの連結従業員数約36万人を大きく下回る。豊かさを生む主役がモノからデータに移り、成長企業も大量の雇用を必要としない。一部の人材に富が集中し、低成長と格差拡大が連鎖する。
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世界でコロナ対策の財政支出は10兆ドルを超え、国内総生産(GDP)比の規模は金融危機を上回った。経済協力開発機構(OECD)加盟国の政府債務のGDP比は109%から130%台に上昇する。「小さな政府」や「民の活力」といった成長を高めるための従来の前提はいったん脇に追いやられた。
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マイケル・スペンス氏、ロバート・ソロー氏らノーベル経済学賞受賞者を含む約20人の世界の知性は08年、2年間の経済成長の議論を「公平性と機会の平等は持続的な成長戦略に必須」と結んだ。成長の礎は崩れていないか。危機をしのぐだけでなく、弱点を克服する奇貨とする。その先に未来を照らす女神がいる。