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マイ・ヒューマン・レボリューション
――小説「新・人間革命」学習のために 「中南米」編
新しき開拓の朝だ! 中南米のあの地、この地に 人間勝利の栄光の旗を!
●地涌の菩薩の使命果たす人生を!
<74年(同49年)3月、学会への誤解があり、ビザが発行されず、伸一のブラジル訪問は中止となる。翌月、ブラジル理事長の斎木安弘は、アメリカのサンディエゴに滞在中の伸一を訪ね、現地の様子を伝える>
斎木は、喜々として報告した。
「先生のブラジルへのご訪問がなくなったことをメンバーに伝えました時には、皆、悔し涙にむせびました。しかし、『先生がいらっしゃらないからといって、泣いているような弱虫でどうする! 私たちの手で、文化祭を大成功させるのだ。それでこそ真の弟子じゃないか!』と語り合いました。
そして、みんなが“先生、見ていてください”との思いで、懸命に挑戦しました。
文化祭は大成功でした。出席した各界の来賓も、感動し、学会への理解を深めております。また、みんなが、あらゆる機会に、学会の正義と真実を、勇気をもって語り抜いてきました。そうしたなかで、オザスコ市のように、市をあげて先生の平和行動を賞讃するケースも出てまいりました」
伸一は、斎木の顔を見つめて言った。
「みんな、さぞかし悔しかっただろう。辛かっただろう……。しかし、そのなかで立ち上がった。ブラジルはきっと大発展するよ。二十一世紀の“世界広布の雄”となることは間違いない!」
経文には「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(御書231ページ)とある。
今、いかなる決意で、どう行動しているのか――それによって、未来の結果は決定づけられていくのだ。
誰よりも労苦を背負いながら、黙々と広宣流布のために戦う。その人こそ、誰よりも強く、誰よりも幸せになり、誰よりも栄光をつかむのだ。それが、因果の理法である。
(第19巻「陽光」の章、233〜234ページ)
●知恵と努力で「不屈の勝利王」たれ
<93年(平成5年)2月、伸一はアルゼンチンの首都ブエノスアイレスで、集った友に語る>
「ひとたび太陽が東天に昇れば、その大光は遍く全世界を照らす。同様に日本に聖誕された大聖人の『太陽の仏法』は、全地球の全民衆を赫々と照らし、妙法の大慈悲の光を注いでいきます。そして、この大聖人の仏法の世界性、普遍性を見事に証明してくださっているのが、アルゼンチンの皆様の活躍です。(中略)
アルゼンチンのことわざに『太陽は皆のために昇る』とあります。
(中略)大聖人は『皆のために』――末法万年のすべての民衆のために、大法を説き残された。信仰しているか、信仰していないかによって、人間を偏狭に差別するものでは決してありません。どうか皆様は、心広々と、太陽のように明るく、アルゼンチンの全国土、全民衆に希望の光彩を送っていただきたい。
(中略)人生は、悩みとの戦いです。大事なことは、自分にのしかかる、さまざまな苦悩や問題を、いかに解決していくかです。『悩み』を越えた向こう側にある『勝利』に向かって、知恵を絞り、努力を重ねることです。もし、こんな悩みがなければ――と現実を離れ、夢を見ているだけの生き方は、敗北です。どうすれば、今の課題を乗り越え、価値と勝利に変えていけるか――常に、その前向きな努力をなす人が『勝つ人』なんです。
自分の一念が、そのまま人生となる――この真理を、見事なる勝利の劇で証明する『名優』であっていただきたい。また、周囲にも『自信』をもたせる『励ましの人』であっていただきたい」
伸一は、アルゼンチンの同志が一人も漏れなく「不屈の勝利王」であってほしかった。
(第30巻<下>「誓願」の章、366〜368ページ)
●アンデス越えたり 我は勝ちたり
<93年(平成5年)2月、伸一は海外50カ国・地域目となるチリを初訪問。広布旅を振り返る>
思えば、どの国も、一つ、また一つと、全精魂を注いで歴史の扉を開く、真剣勝負の広布旅であった。
戸田城聖は、第二代会長に就任した翌一九五二年(昭和二十七年)の正月、「いざ往かん 月氏の果まで 妙法を 拡むる旅に 心勇みて」と詠んだ。(中略)
しかし、恩師は、一度も海外に出ることはなかった。伸一は、戸田の言葉を遺言として生命に刻み、師に代わって世界を回り、「太陽の仏法」を伝えてきた。
(中略)その海外訪問も、このチリの地で、いよいよ五十番目となるのだ。
彼の脳裏に和歌が浮かんだ。
「荘厳な 金色に包まれ 白雪の アンデス越えたり 我は勝ちたり」(中略)
チリSGI総会で伸一は、チリの各地で活動に励む同志の労苦を思いながら、「逆境に負けずに頑張り抜いてこられた皆様には、アンデスの山並みのごとく、限りなく功徳が積まれていくことは絶対に間違いない」と賞讃した。
さらに、このチリで、海外訪問は五十カ国・地域となったことを伝えた。三十三年前、富士の高嶺を仰ぎつつ、世界平和への旅を開始して以来、五大州を駆け巡ってきた。そして、日本とは地球のほぼ反対側にあり、「チリ富士」といわれるオソルノ山がそびえるチリを訪れたのである。伸一は、烈々たる気迫で呼びかけた。
「戸田先生は、さぞかし喜んでくださっているにちがいない。しかし、いよいよ、これからが本番です。常に皆様を胸中に描き、日々、共に行動している思いで、全世界を、楽しく朗らかに、駆け巡ってまいりたい!」
(第30巻<下>「誓願」の章、382〜383、386ページ)