◎池田大作研究(第34回)佐藤優氏
『仏法基調のヒューマニズム 世界宗教化の源泉』
大阪事件を通し、池田は改めて、仏法を基調としたヒューマニズムを、世界に広げることこそが使命だとの思いを新たにした。これが創価学会の世界宗教化への道を推し進める源泉となった。
「おめでとうございます」
車中、伸一は、一人、戸田城聖を偲んだ。
“先生? 先生の仰せの通りになり、晴れて無罪となりました。これで、先生の命である尊い創価学会に傷をつけずにすみました”
広宣流布の道程は、“権力の魔性との熾烈な攻防戦”
池田は、公判で無罪を獲得した勝利の宗教的意義を正確に理解していた。創価学会の布教(広宣流布)の伸展を封じ込めようとする国家権力の意思があった。国民の中にある創価学会に対する予断と偏見を警察官や検察官も共有していた。しかし、警察官や検察官は自らの予断や偏見を自覚していない。権力を行使して自らが考える「正しい社会」を作ろうとして、無意識のうちに創価学会員に弾圧を加えたのだ。創価学会員だけでなく、権力を持たない民衆は、権力を行使する者の予断と偏見によって人権を侵害される。このような現状をあらためるために行動することが自らの使命と池田は考えた。
●壁を壊す社会革命より 人間革命を進める
〈伸一は、思った。
“国家権力によって冤罪を被ってきた人びとの数は、計り知れないにちがいない。また、これまで、権力によって虐げられ、自由を奪われ、不当に差別されてきた民衆は、いかに多かったことか。いや、世界には、今なお、権力によって、虐げられ、呻吟する民衆は跡を絶たない”………〉
「王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず」
しかし、国家権力の壁を壊すことができることは稀にしかない。壁を壊すことができなかった社会革命家は、価値観を喪失し、ニヒリズム(虚無主義)に陥ってしまう。また、壁を壊すことができなかった社会革命家が国家権力を掌握すると、民衆との間に新たな壁を作ってしまう。スターリン主義(ソ連型共産主義)がその典型だ。民衆を解放することを意図してボルシェビキ党(ソ連共産党の前身)は1917年11月に社会主義革命を行った。しかし、その結果生じたのが収容所群島だった。
池田は、警察官、検察官、裁判官も仏の生命を具(そな)えていると考える。裁判所の田中が勇気を持って池田に無罪判決を言い渡すことができたのは、田中に仏の声明が働いたからだ。警察官や、検察官が正しい価値観を持つようになれば、民衆を苦しめる冤罪はなくなる。池田は、日蓮の価値観を現代に活かそうとしている。
「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず」
◇◇
国家権力の壁を力で壊す社会革命ではなく、人間革命によって壁の向こう側に正しい価値観を持った人々を送り込んでいくことが必要と池田は考えた。
人間革命の実践である。
「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」
池田の思想は、大阪事件後、難関な司法試験に合格し、検察官、裁判官、弁護士になる創価学会員が少なからず現れるという形で具現化した。これは創価学会による法曹界支配ということではない。検察官、裁判官、弁護士は、それぞれの職業的良心に従って仕事をする。仕事をする過程で、自分の中に権力の魔性が現れることを、創価学会の価値観を体得した人ならば自覚することができる。それによって、自分が持つ専門知識の濫用を防ぐことができる。権力の魔性から人間性を解放するということは、権力によって被害を被る民衆だけでなく、構造悪に荷担している権力者をも解放することになる。仏法を基調としたヒューマニズムを池田は説く。
〈この時、山本伸一の生涯にわたる人権闘争への金剛の決意が、胸中に人知れず芽吹いていたのである。
“権力の魔性の桎梏(しつこく)からの人間の解放、人権の勝利………。よし、やろう。仏子として、わが人生をかけて………”