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出久根達郎の世界文学名作者伝=137
志賀直哉
多くの作家に影響を与えた巨匠
2020/08/30 公明5面
秤屋のでっち小僧・仙吉は、店の番頭たちの鮨談義を聞いている。自分も早く身銭を切って、心置きなく鮨が食える身分になりたいものと願った。ある日、店の使いの帰り、屋台の鮨屋に立ち寄る。客が三人いる。海苔巻はありますか、仙吉は訊く。今日はできないよ、とあるじが握りながら答える。
仙吉は鮨台の鮪の握りに、とっさに手をのばす。つかんだとたん、あるじが「一個六銭だよ」と告げる。仙吉は手を離す。懐には四銭しかない。「一度持ったのを置いちゃ、しょうがねえな」あるじが言い、仙吉が返した鮨を自分の口に入れた。仙吉が出ていくと、「この節鮨も上がりましたからね。小僧さんには食べきれませんよ」と客に言いわけした。
一部始終を見ていた客の一人が、仙吉を気の毒がった。後日、偶然に秤を買ったところ、店に仙吉がいた。むろん彼の方では客を知らない。客は仙吉を指名し、自宅に重い秤を届けさせた。魂胆があるので同道する。鮨屋の前で、ごちそうするよ、と言った。店に話はついているから、遠慮なく食え、自分は用があるので先に帰る、と言う。仙吉は狐につままれたようだ。店の者はお金はもらっている、腹いっぱい召しあがれ、と勧める。仙吉は折角なので、そうした。見ず知らずの人がなぜ自分にこのような好意を示すのか、さっぱりわけがわからない。
一方、ごちそうした客も、自分はいいことをしたつもりなのに、あまり後味がよろしくない。これはどういうことだろうと首をひねる。人を喜ばせることは良いはずなのに、悪いことをしたあとの気持ちに似ている。仙吉は仙吉で、あれは神様だったのではないか、と思うようになった。
志賀直哉の短篇『小僧の神様』である。何ということもない物語だが、読むたび切なく考えさせるものがある。奢る方、奢られる側、どちらも体験し、思い当たる節があるからだろう。志賀文学はスケッチ風タッチの、文章を味わう文学と捉えがちだが、実は技巧をこらした構成の小説が多い。『赤西蠣太』『清兵衛と瓢?』『暗夜行路』などそうである。
ところで日本の名女優の一人、高峰秀子は、アンケート「影響を受けた書物」で、「志賀直哉著『小僧の神様』」を挙げている。どのような、感化を受けられたのだろうか。非常に興味がある。
志賀文学の影響を受けた作家の代表は、小林多喜二である。小林が虐殺された時、志賀は小林の母に弔問状と香典を送っている。