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2020.8.23-4(3)

2020年08月22日 (土) 23:46
2020.8.23-

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【FINANCIAL TIMES】財政責任論、コロナで幕
ヨーロピアン・エコノミクス・コメンテーター
マーティン・ザンドブ
日本経済新聞 朝刊 オピニオン(6ページ)
2020/8/21 2:00

 新型コロナウイルスがもたらした惨禍としては、何よりもまず人的な被害を嘆くべきだ。だが、このパンデミックが招いたもう一つの犠牲にも目を向ける必要がある。この30年間にわたり経済政策の方向性を支配してきた根本思想に最後のとどめが刺された、ということだ。

 1970年代に景気低迷と物価上昇が同時に進むスタグフレーションを経験し、80年代に公的債務が急増した国は多かった。このことは「財政への責任」という一種の財政政策のあるべき姿という概念を生み出した。以来、財政赤字と公的債務を穏当な水準に維持することが、責任ある政治家の証しとされるようになった。それまでは財政支出の国民所得に対する比率が増え続けていたが、そうした財源確保のために増税はしないということにも取り組むようになった。「まともな考え方」をする人々は「増税して支出する」のも「借金して支出する」のも同じことだと判断していた。

(編集注:R. I. P.はRest in peaceの略で「低い税負担の時代は終わった」の意)

 ただ、財政への責任という考え方は、パンデミック前から緩み始めていた。専門家らは、2008年の金融危機後の深刻な不況下で緊縮財政を進めたことで招いた悪影響への懸念を深めており、債務増大を容認しつつあったからだ。そこにさらにコロナ禍による経済的打撃が加わったことで、これまで受け入れられてきた財政への責任を果たすという考え方を維持するのはもはや不可能になるだろう。

 各国政府は3月以降、経済活動の崩壊を抑え、人々の収入を守り、雇用関係を維持すべく巨額の支出で財政赤字を膨らませてきた。これは正しい対応だ。だがその結果、各国の公的債務は数十年ぶり、あるいは過去最高の水準にまで上昇している。経済協力開発機構(OECD)によると、多くの加盟国で、公的債務の国内総生産(GDP)比は、今年と来年で20〜30ポイント上昇する可能性がある。

 このためほぼ全ての国は単純な選択に直面する。一つは債務を容認できる水準まで下げる努力を放棄して、増税せずに高水準のまま耐え続ける道だ。もう一つは増税し続けて、財政均衡を図り、ひいては債務削減に取り組む道だ。いずれにせよ「債務も税負担も増やさない」という従来の責任を果たしたかのような政策の選択肢はもはやないということだ。

 それどころか「増税はせずに債務を抱え続ける」あるいは「増税はするが債務は維持・削減していく」という財政への責任を果たすことさえ最良のシナリオ下でしか実現できなくなる。むしろいずれも断念し、債務は拡大し続け税負担も増えていくという事態を受け入れざるを得なくなる可能性がある。

 経済成長がコロナ禍前の水準まで回復しない国はそうなる。もし感染が再拡大し、その国で全国的なロックダウン(経済封鎖)が再び必要になれば、ほぼ確実にそうした事態に陥る。歳入が持続的に不足するようになれば、増税は不可避だ。それは債務のGDP比を下げるためではなく、債務のGDP比をそれ以上拡大させないために必要になるということだ。

 政府が中央銀行を説き伏せてインフレを起こし、債務の実質負担を圧縮する策を期待(あるいは危惧)する向きもある。理論的には可能だが、そうすることは、低い税負担と低い債務の組み合わせを「正しい」としてきた経済政策の構成要素のもう一つの柱である「中央銀行は物価を安定させる」という原則をも破ることになる。

◇◇

 日本は税収についても教訓になる。日本の税収はかつて先進国の平均よりかなり低かったが、今や急上昇している。OECDによると、日本の税収(社会保険料を含む)のGDP比は、00年は25.8%で、加盟国平均より8ポイント低かった。だが、コロナ禍前には同31.4%まで上昇し、加盟国平均との差は3ポイント以下に縮まっていた。日本が全ての先進国の先例なら、公的債務の水準は高止まりし、課税水準も上昇していくと予想される。

 こうした事態に対応すべく政策の基本的な考え方も変えていくには、政治の変革も必要になるだろう。この点を考えるにあたっては、これまで浸透してきた「健全な財政を守る」という政策で最も恩恵を受けてきたのがどういう人々だったかを念頭に置く必要がある。長く考えられてきたのは、国の債務が増えると民間部門の資金調達コストが上昇し、民間企業による投資が難しくなるということだ。増税も当然のように、民間企業の利益率低下を招くとされてきた。

 つまり、従来、常識とされてきたのは資産を豊富に持つ者、資本を保有または支配して収入を得てきた者たちに都合のいい考え方だった。こうした利権の力は、前回の金融危機対応で公的債務が急増した際、大半の国が取った政策の中に見て取れる。そうした力は、"責任ある政策"とは何かという点で支配的な考え方を決める力として働いたし、場合によってはそのためのロビー活動も展開した。金融危機後に多くの国が公的支出の削減を進めた背景には、財政的に正統とされる考え方があったのだ。

◇◇

 今日、財政予算を大幅に削減することは以前にも増して難しくなっている。過去の歳出削減がもたらした打撃が明らかになり、さらなる削減を正当化するのはもっと厳しくなっているからだ。パンデミックが公的サービスの無力さと公共部門など重要分野の労働者への報酬の不十分さを浮き彫りにしたという点もある。10年前とは異なり、財源不足は増税で賄うしかない。

 しかし、「財政責任」という考え方によって恩恵を受けてきた者たちが、自分の利益を守るための戦いをあきらめると期待できる理由は何もない。実際、大幅な増税が避けられないとなれば、戦いの焦点はどの税負担を重くするのかに移る。つまり、どの税を増税し、どれだけ増税するのかという戦いだ。

 今後、経済がある程度回復したら、そのとき経済政策では税を巡り最も激烈な戦いが始まることになる。

(5日付)




 


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