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2020.8.23-5

2020年08月22日 (土) 12:25
2020.8.23-

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〈1984年(昭和59年)8月24日、前日に富山入りした池田先生は、当初の予定を変更し、北陸青年部と懇談の場を持った。この日は、先生の入信記念日でもあった。
 北陸は、戸田先生の故郷である。その師弟有縁の天地で広布に駆ける青年たちに、池田先生は戸田先生の言葉を通して訴えた〉
  
 恩師は、よく言われた。
 「どんなに辛いこと、苦しいこと、悲しいことがあっても、時がたてば、“なぜ、あんなものに苦しんだのだろうか”と思うものだ」
 私は、この教えを通し、青年たちに指導した。
 “現在、どれほどの苦難に直面していても、絶対に挫けてはならない。諦めてはならない。断じて、断じて負けてはならない!”と。
 苦労しながら戦った分だけ偉大な自分を創造できる。
 途中がどんなに苦しく、辛くとも、粘り抜いて、今日を勝て! そして、最後を勝て!
 勝てば、いっさいの労苦は黄金の宝に変わる。

◇◇

〈池田先生は、2日後の26日、石川で開かれた「第1回北陸平和文化祭」へ。開始前、競技場を一周し、北陸の全同志の奮闘を心からたたえた。グランドフィナーレでは、全出演者による北陸の歌「ああ誓願の歌」の大合唱が轟いた〉
  
 私が北陸の歌「ああ誓願の歌」を贈ったのは、一九七八年(昭和53年)であった。その六年後、「第一回北陸平和文化祭」で、「ああ誓願の歌」の大合唱は圧巻であった。
 「この歌声が聞きたかったのだ!」と、私は何よりも嬉しかった。初代、二代、三代と貫き通してきた創価の「勇気」を、そのまま受け継いだ北陸の友の心の響きが凝結していたからだ。
 「誓願」を果たすためには、「勇気」がいる。その勇気の究極の源泉こそが、創価の師弟の精神なのである。
 御聖訓には仰せである。
 「願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ」(御書1589ページ)
 わが北陸の同志に、「師子王の心」が燃え上がっている限り、創価の「勝利の旭日」は永遠に輝きわたるのだ。


【寸鉄】
若いというだけでどんな
人間よりも偉大―恩師。
君よ宝の青春を乱舞せよ
     ◇
「仏の御心はこの文字に
備れり」御聖訓。御書を
拝せ!勝利の道がここに
     ◇
希望は強い勇気であり、
新たな意志―作家。広布
のロマン胸に今日も前進
     ◇
熱中症死、3割が夜間。就
寝前に水分補給、冷房活
用を。高齢者は特に注意
     ◇
コロナ終息後に行きたい
国、日本が1位。皆で試練
乗り越え民衆交流を再び

◎名字の言 中華統一を成し遂げた大帝国の歴史の教訓
発行部数が累計6400万部を超え、映画化もされた人気漫画「キングダム」。「天下の大将軍」を志す主人公が、後に始皇帝となる秦の国王と共に「中華の統一」を目指す物語だ▼長きにわたり大小の国家が争ってきた戦乱の世を終わらせるには、「国境」そのものをなくすしかない――若き国王の理想に、多くの人々が糾合されていく。漫画は歴史を基にしたフィクションだが、天下の統一という偉業は2200年の時を経ても色あせない▼始皇帝が暴君か名君かは、さまざまな意見がある。万里の長城や巨大陵墓の建設に民を酷使した一方で、文字や度量衡の統一などの業績も残した。ただ確かなのは始皇帝の死後、わずか4年で秦は滅んでしまったということだ▼なぜ強大な秦帝国は滅亡したのか。作家の陳舜臣氏は、民衆の支持を得なかったこと、地方の長官は中央政府から任命された官吏ばかりで、身を賭して国を守る人々がいなかったことを挙げている(『秦の始皇帝』文春文庫)▼要するに「民の安穏の実現」という明確な理念、そして次代を担う真の人材を欠いていたということだろう。法律や制度だけでは足りない。それを支える人間と優れた精神性あってこそ、世代を超えた発展はある。現代にも通じる重い教訓である。(駿)


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