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2020.8.14-5(3)

2020年08月13日 (木) 10:19
2020.8.14-

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〈池田先生の会長就任60周年 青年部が原田会長に聞く ?部〉第18回 「大衆とともに」――公明党の結党?

●権力の魔性との闘争「大阪事件」――人間の「尊厳」「自由」「平等」を勝ち取る

 ◆樺澤 1956年(昭和31年)7月の参院選で、学会が推薦した候補が大阪で勝利したことは、既成勢力にとって、大きな脅威に映ったようです。そして、翌57年に大阪地方区での参院補選で苦汁をのんだ後、「大阪事件」が起きます。
  
 ◇原田 「大阪事件」は、創価学会という新しい民衆勢力の台頭を抑え込もうとした権力からの弾圧です。参院補選で一部の会員が起こしてしまった選挙違反を口実に、支援の責任者を務めた池田先生を不当逮捕し、15日間にわたって勾留する暴挙に出たのです。
 「大阪事件」の直前には、当時の労働組合の中で権勢を振るっていた日本炭鉱労働組合からの弾圧である、北海道・夕張での「炭労事件」がありました。そして、さらに大きな権力からの弾圧が起こったのです。
  
 ◆大串 小説『人間革命』第11巻「大阪」の章に「検察が、この機会に徹底して取り締まり、壊滅的な打撃を与えておこうとの方針をとったとしても不思議ではない。だが、そこには、少なからず創価学会に対する感情的な偏見があり、その将来に、いわれなき恐怖をいだいていたことも確かであろう。それは、いわば、道理や理性を超えて、人間の心の奥底から発する生命的反発といえようか。これこそが、『猶多怨嫉』(法華経363ページ)という状況を引き起こす要因といえる。この、人間の憎悪ともいうべき感情のもとに、権力が行使される時、権力は魔性の力となって、弾圧の牙をむくのである」とあります。
  
 ◇原田 「権力の魔性」の本質について、鋭く指摘されている箇所です。
 池田先生への取り調べは人権を無視した過酷なものでした。やがて法廷で明らかにされますが、検事が2人がかりで夕食も食べさせずに、深夜まで厳しい取り調べを行ったこともありました。さらし者にするかのように手錠をかけ、地検の調室から別館へ、連れて行かれたこともありました。
 そして、罪を認めなければ、戸田先生を逮捕するとまで言いだしたのです。それは、戸田先生が逝去される9カ月前のことであり、お体の衰弱がかなり激しかった時です。池田先生は、やむなく罪を一身に被り、法廷で戦い、無実を証明しようと決意されます。


●民衆を守り抜き 民衆と共に進む
 ◆大串 法廷闘争は4年半にわたり、公判は84回に及びました。
  
 ◇原田 先生は61年12月の最終陳述で、?学会が選挙運動を行うのは憲法に保障された国民の権利であり、それを否定するかのような検察の論告求刑には明らかに偏見がある?従来、戸別訪問は罰金刑などの軽い刑であるにもかかわらず、禁固という大阪地検の求刑は、はなはだ過酷である?大阪地検の取り調べは非道なものであり、権力をかさに着た弱い者いじめのような行動は、断じて許しがたい?戸田先生は「勝負は裁判だ。裁判長は、必ずわかるはずだ。裁判長に真実をわかってもらえれば、それでいいじゃないか」と言われた。公正なる審判を要請したい、と述べられました。
 そして62年1月25日、無罪判決が言い渡されるのです。検察は、判決を覆すことは到底できないと判断し、控訴を断念。2月8日に無罪が確定します。
  
 ◆西方 勝利の判決が出た日、先生は即座に東京に戻られ、翌日には本部幹部会に出席されています。席上、前年(61年11月)に結成されていた、公明政治連盟に対し、創価学会として全面的に支援していくことも発表されます。
  
 ◇原田 かつて先生は、日本経済新聞からの依頼で書かれた『私の履歴書』の中で、この事件について、「多くの市民は、不当な権力に苦しめられてきた。戦前は、もっと多かったにちがいない。胸がはちきれそうな思いがした。私は心の奥底で、生涯、不当な権力に苦しむ民衆を守り、民衆とともに進もうと決意せざるをえなくなっていった」とつづられています。
 最終陳述、無罪判決、次なる戦いへの意思表明――これらは全て、人間の尊厳と自由と平等を勝ち取る人権闘争への不屈の一念の結実であり、創価学会が果たすべき重大な社会的使命への構想を表しているように思えてなりません。
  
 ◆林 この後、先生は、特に未来を担う人材の育成に力を注がれています。



◇原田 具体的には、62年5月に初めて学生部の部長会に出席され、7月には総会にも参加されます。さらに、8月31日から学生部の代表に「御義口伝講義」を開始されます。
 63年6月には青年部のさらなる育成のため、学生部のOB部を結成され、66年からは高等部への御書講義も展開されます。それらは全て、壮大な広布の運動を推進するための布石だったのです。
  
 ◆樺澤 作家の佐藤優氏は、「大阪事件」について、週刊誌「AERA」で連載中の「池田大作研究」で、「牧口、戸田の両師匠は権力の魔性と闘った。これは鎌倉時代に日蓮が体験した事柄の反復である。権力の魔性との闘いを通じて、日蓮が説いた仏法を牧口と戸田は現代に甦らせた。それをさらに発展させ、仏法を世界に広げていくことが池田の使命なのである。この使命を貫徹するためには、権力の魔性と闘い、勝利しなくてはならない」と述べています。
  
 ◇原田 日蓮大聖人の仏法では、権力の魔性の本質を「他化自在天」と説いています。民衆を支配し、隷属化させる第六天の魔王の働きです。
 先生は、「大阪」の章で、大聖人の時代から起きていた冤罪による迫害の歴史を通し、次のように記されています。
 「時には、法を拡大解釈し、違法として裁断し、ある場合には、過剰なまでに監視の目を光らせ、わずかでも法に抵触する可能性があれば、厳しく取り締まるということもあろう。また、一信徒の個人的な問題を、教団全体の問題として、摘発することもあり得よう」と。
 「大阪事件」は、この通りの権力による弾圧でした。
 大聖人は、「王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず」(御書287ページ)と仰せです。ユネスコ(国連教育科学文化機関)が古今東西の英知の言葉を網羅して編さんした『語録 人間の権利』にも収録された一節です。
 いかなる権力に対しても、決して隷属などしない強い精神が大聖人のご境涯であり、同じように万人が精神の自立を獲得していくのが日蓮仏法です。いわば、広宣流布とは、人間の尊厳と自由と平等を勝ち取る人権闘争といえます。
 ゆえに戦いは断じて勝たねばなりません。正義が勝ってこそ、民衆を守り抜いていくことができるからです。


◆西方 そのため、学会に対するマスコミの注目度が高まり、以後、無理解による批判的な発言も多くなります。
  
 ◇原田 そこで先生は、59年6月12日付の聖教新聞で「世の批判に答える」と題して、一問一答の形で記事を掲載されます。その中で、「学会は今回の選挙で世界に波動を与えた」と述べています。実際、イギリスのタイムズ紙が、学会の政治への関わりについての記事を掲載していました。
 その後も先生は、海外訪問の折など、現地メディアの取材に応じ、立正安国や宗教と政治の関係性等について、理路整然と訴え、誤解を正してきました。
 法華経に「悪口罵詈」「況滅度後」(況んや滅度の後をや)とあるように、正義ゆえに、中傷や無理解からの批判があっても、真心こめて真実を語っていけば、相手はいつか必ず理解し、納得していきます。これは今にも続く、私たちの言論戦の根本精神です。
 南米アルゼンチンの人権の闘士・エスキベル博士(ノーベル平和賞受賞者)は語っています。「創価学会の(三代)会長は、不正義と戦いました。ゆえに迫害され、牢に入りました。しかしながら、自らを犠牲にすることによって、未来の希望を育みました。創価学会は、今なお闘い続けております。闘いはまだ終わっておりません。いな、闘いとは、永遠に持続されてゆくべきものであります」


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