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SUAフィーゼル新学長に聞く
――教育に携わるようになった原点をお聞かせください。
私は1965年、日本人の母と、米軍に勤める父のもと、神奈川県の横須賀で生まれました。父がベトナム戦争に従軍した後、カリフォルニア州サンディエゴへ。
父は退役した後、良い仕事に恵まれず、わが家は困窮。
加えて、私の5歳下の弟には生まれつき重度の障がいがあり、その弟の面倒を見るため、友達と遊ぶこともあまりできませんでした。それでも卑屈にならなかったのは、両親の限りない愛情を感じていたからです。
とりわけ母は、どんなに貧しくても、仕事が大変でも、笑顔を絶やさず、他者に尽くす生き方を教えてくれました。母は現在、95歳ですが、今も元気いっぱいで、いつも私を鼓舞してくれています。
――その後も試練が続いたそうですね。
両親に応えたいと懸命に学び、進学を控えていた高校3年次、父が失業。毎日のように借金の返済を迫られ、父は重い精神疾患に。
そんな時、わが家の窮状を聞いてくださった池田先生から“夢を諦めちゃいけないよ”とのご伝言を頂いたのです。
私は“絶対に壁を破ろう。夢を必ずつかもう”と決意。勉強を続けながら、父の看病に全力で当たりました。家族一丸で支える中、父の病状は好転。私は第1志望であったエール大学経済学部に、学費全額免除の特別奨学生として合格することができたのです。
●創立者の遠大な構想実現へ全力
――青春時代に大切にしていた信条は?
大学入学前、いつも励ましてくれていた地元の先輩から、1枚の写真入りハガキをもらいました。
写真には、池田先生が創価大学生に贈ったブロンズ像が写っていました。その像に「英知を磨くは何のため 君よそれを忘るるな」との指針が刻まれていることを知り、心が震えました。栄誉や地位を追うのではなく、より深い次元で人生を見つめ、自分の命を正しく使う大切さを教えていただいたからです。
一貫してこの指針を胸に学び抜き、学部を首席で卒業。カリフォルニア大学バークレー校の大学院に進み、博士号を取得することができました。
その後、ジョージ・ワシントン大学助教授を経て、カリフォルニア州にある公共政策研究所に奉職した際も、常に「何のための経済学か」を自身に問い、“民衆に尽くす経済学”を発展させたいと願ってきました。
――特に心に残っている池田先生との出会いはありますか?
1994年3月、創価大学の卒業式に出席した折、図らずも池田先生と直接お会いする機会を頂きました。
先生はその時、「真の指導者とは、誰もが知らないことを先んじて知りゆく人です」と教えてくださったのです。以来、この言葉の意味をずっと考え続けてきました。今、SUAの未来を創造する責任ある立場となり、この時の言葉を一層深く心に刻んでいます。
――SUAは明年に開学20周年の節目を迎えます。
97年に来日し、池田先生にお会いした際、「今、アメリカに新しいキャンパスを建設しています」と、SUAの構想を伺いました。その時、将来、SUAに奉職することを決意しました。それまでの人生が、走馬灯のように駆け巡りました。人生の苦難を越え、「何のため」の学問かを追究してきた意味を見いだした瞬間でした。
以来二十余年、今もその時の決意は、全く変わっていません。
激動の時代にあって人類はこの20年間に、特に大きな二つの経験をしたと思います。
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロと、本年の新型コロナウイルスの感染拡大です。
こうした人類史的課題に直面した時、私たちはエゴイズムを優先して“分断”の道に進むのか、それとも、世界が協調して課題の解決に向かうのかが厳しく問われます。
その意味からも、今ほど、人類貢献のリーダーを育むSUAの使命の大きさを実感することはありません。
創立者・池田先生をはじめ、支えてくださる全ての皆さまへの感謝を胸に、遠大なる先生の創立構想の実現へ、全力で走り抜いていく決意です。