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【経済教室】アフターコロナを探る(中)
米中、「文明の衝突」避けよ
寺西重郎・一橋大学名誉教授
日本経済新聞 朝刊 経済教室(24ページ)
2020/8/5 2:00
コロナ禍の出現により、米中の対立は米政治学者のサミュエル・ハンチントンが指摘した「文明の衝突」であることが一段と明らかになった。それは単なる貿易摩擦でも覇権争いでもない。やはり一種の文化的争いとしてみる必要がある。
同氏は、冷戦後の世界では西欧文明の普遍性は否定され、西洋と儒教文化圏中国やイスラム教諸国などとの宗教などに関わる文明の衝突が、世界の均衡と成長のあり方を規定すると主張した。だが文化的要素の違いが西洋文明の普遍性を否定するメカニズムについて立ち入ることはなかった。
しかし重要なのはこのメカニズムだ。本稿では、社会と市場の秩序付けの方法は、その国の歴史的・伝統的な個人の社会経済観により決まるという立場から、米中対立の文明の衝突としての性格を読み解く。ここで社会経済観とは、各国の個人が日常の生活経験で抱く社会や経済の環境に関する見方という意味だ。国家などが様々な意図をもって市場や社会を統治しようとするが、その方法は基底では個人の社会経済観により規定されると考えるのだ。
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まず西欧の自由・人権・民主主義といった啓蒙的価値の起源を振り返ろう。12世紀のイタリアの都市に典型的にみられるように、早くから社会的行動への市民的参加とネットワークが慣行として成立していた。
この背景には、独社会学者のマックス・ウェーバーが強調したキリスト教の下での神の創造した人類や公共を重視する観念の影響がある。他者への考慮でなく、公共概念を基軸とする集団的意図性が人々の世界観に組み込まれてきた。集団的意図性の下では、人々の社会的な制度やルールに関する合意が成立しやすく、社会と市場の秩序を守ることが低コストで可能となる。
加えてルールや法制度は公共の目的のため人々の行動を制約するので、法治制度の下でルールを適用し社会秩序を維持するには、自由・人権・民主主義といった自律的な個人としての人間の啓蒙的価値の尊重が不可欠な前提となる。これが17〜18世紀社会契約論での取り決めだった。西洋は理性への高度の信頼の下で、自由と人権の価値を強調しつつ、制度により市場秩序を維持することで、高度な文明社会を構築してきた。
啓蒙的価値は法と制度による社会と市場の秩序付けという法治と一体となり、相互補完的な仕組みとして広く西洋社会に浸透した。
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マイケル・サンデル米ハーバード大教授が「手続き的共和国」と皮肉ったように、善や倫理に関する争いを回避し、一見中立的に社会秩序を構築し運営しようとする傾向は、西洋、特に米国では最近一段と強まっているように思われる。
これに対し中国では、公共の観念に基づく集団的意図性は人々の内面的な社会観では成立しなかった。独特の死生観に基づく家族観と先祖崇拝が社会を縦に分断した結果、公共意識による社会的な意見の集約が難しくなり、ルールとしての法制度による市場と社会の秩序付けを困難にした。
中国での社会と市場の秩序付けの方法は「士庶論」とも呼ぶべき、社会をエリートと非エリートから成る二重構造としてみる社会構造観から生まれた人治による秩序付けとして要約できる。士庶論は三国時代にまで遡るエリート(士)と非エリート(庶)から成るとする社会観だ。三国時代は門閥貴族が、隋・唐時代以降は科挙に合格した士大夫と呼ばれる官僚が、おそらく現在では共産党員が、エリート層を構成すると意識しているとみられる。
士庶論の重要性は朱子学の成立以後、理気論の人間観と結合したことだ。すなわち本然の性たる天の理を会得した人は聖人になり、その他の多くの人は気質の性にとどまり、未完成な道徳的修養のままの状態に生きるという人間観だ。
こうして中国での社会の秩序付けの基本は、士庶論と理気論に基づく人治を基本とするものとなった。聖人として天の理を体得した集団が社会のリーダーとなる。一方、非エリート層はエリートの判断下で自由や人権の制限を含む罰則を前提に許容されているのだ。
制度に偏重した政策と手続き的合理性を重視する米国を中心とした経済社会の秩序付けは、3つの面で行き詰まりを示している。
第1に善の問題、倫理の問題をなおざりにしてきた米国の政策が、格差問題、人種対立問題などの放置を通じて、深刻な国内の分断をもたらしていることだ。
第2に制度偏重の政策は宿命的に機会主義的行動を誘発する。努力の欠如、手抜き、保身といった契約では書きにくいモラルハザード(倫理の欠如)行動は、基本的には最低限の道徳律により排除されるべきだが、それが難しくなっている。鄧小平以来、市場化を受け入れた中国は、市場制度の抜け道を都合よく利用し、競争政策や技術入手などを巡り法的には違反ではないが倫理的には許されない行動をとり、米国との貿易上の対立を招いてきた。
第3に一層重要なのは、法制度による秩序付けと一体の自由・人権など啓蒙的価値は、エリートによる人治の下で奔放に行動する中国の非エリート層には理論上意味を持たないことだ。
中国の国民は経済的繁栄のために自由と人権の軽視を容認しているとみるのは皮相的で危険だ。伝統的な中華思想やアヘン戦争以来の屈辱の歴史が、中国エリート層の反西洋心性の基本にあるのは確かだが、それが中国人の内面化された社会観のすべてではない。真の問題は国民一人ひとりの内面化された経済社会観が西洋の啓蒙的価値の低評価をもたらしていることだ。
啓蒙的価値は制度と法による秩序付けをとる西洋や日本では通用するが、人治の国では限られた通用力しか持たない。当面の対策としては、温暖化・感染症などの地球的課題の追求により国際的協働が米中の対立を緩和することが期待される。しかし対立の収束に向けては、中国では法治の導入が、米国では手続き的公平さや制度化への過度の依存からの脱却が必要だ。
最終的解決は、異質な内面的社会観の諸国民による相互のリスペクトの形でなされることが不可欠だ。相互理解のための忍耐強い努力が求められる。
○個人の社会経済観が社会の秩序付け規定
○西洋社会の法治に対し中国は人治が基本
○地球的課題での協働と相互の尊敬が必須
てらにし・じゅうろう 42年生まれ。一橋大経済学部卒、同大博士(経済学)。専門は金融史