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〈「崇峻天皇御書」の一節〉
人間として生を受けることはまれであり、爪の上に乗った土のようにごく少ない。人間として命を持ち続けることは難しく、草の上の露のようにはかない。百二十歳まで生きて名を汚して死ぬよりは、生きて一日でも名をあげることこそ大切である。「中務三郎左衛門尉(四条金吾)は、主君に仕えることにおいても、仏法に尽くすことにおいても、世間における心掛けにおいても、大変に素晴らしい」と鎌倉の人びとの口にうたわれていきなさい。「蔵の財」よりも「身の財」がすぐれている。「身の財」よりも「心の財」が第一である。この手紙をご覧になってからは、「心の財」を積んでいきなさい。(御書1173ページ13行目〜16行目、通解)
長寿であることはもちろん喜ばしいことですが、かけがえのない人生で何をなすのか。どう生きるのか。どのような人生の目的を定めているのか。これこそが最も大事であるとの大聖人の御教示と拝されます。
また、「生きて一日でも名をあげることこそ大切」と仰せです。
「名をあげる」とは、人間として最高に充実した人生を送ることであると思います。そういう人生を、具体的に「『主君に仕えることにおいても、仏法に尽くすことにおいても、世間における心掛けにおいても、大変に素晴らしい』と鎌倉の人びとの口にうたわれていきなさい」と仰せです。
「主君に仕える」とは、主君に信頼されるということ。今で言えば職場、社会で勝利するということでしょう。
「仏法に尽くす」とは、法を弘め不退の信心を貫くことです。
「世間における心掛け」とは、世間(社会)からの信用を得ることです。たゆまず心を磨き、自分の周辺、家族、地域の人たちから信頼され、称賛される自分になっていきなさい、ということです。
そして「鎌倉の人びとの口にうたわれていきなさい」と仰せです。
今、現実に自分の住むその場所で信仰の実証を示し、人々から称えられる。これ以上の身近で具体的な目標はありません。
それは、信心で培われた人間性の力による勝利、仏法者としての最高の勝利といえます。