【FINANCIAL TIMES】米、対中は「議論なき総意」
USポリティカル・コメンテーター ジャナン・ガネシュ
猛烈な党派対立にも使いどころはある。国が分断されていても、いかなる政府案も検証・反対なしに採用されることはありえないのだ、と言い訳することもできる。検証は、真実を徹底的に追求するためではなく対立による悪意が狙いだと、より厳しくなることもある。米国はマスクを日常的に着用するかどうかが政治問題になるほど分断している。しかし分断の反対である「議論なき総意」という同等に危険な状況は避けている。
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歴代大統領は過去の対中政策を批判されがちだが、中国を常に支援してきたわけではない。ブッシュ元大統領(子)が中国政府の意に反して台湾に武器を売却したり、オバマ前大統領も中国製タイヤに関税をかけたりする事例もあった。米国が中国に対して採れる選択肢は純朴なリベラル路線か、あるいは2度目の冷戦のいずれしかない、ということもなかろう。
ここで認識しておきたいのが米国の対中政策の前提条件だ。中国は地球上最も人口が多く、現存する世界最古の文明を持つ国だ。にもかかわらず、米国は中国の盛衰は米国の政策次第で変わると考えているのだ。これは米国が共産主義に中国を「奪われた」と言われた1940年代と変わっていない。中国には中国自身の都合があり、78年以降の改革開放路線で超大国に返り咲くことは運命づけられていた、という意見はワシントンでは風変わりにみられる。
筆者自身は、デタント(緊張緩和)を求めているわけではない。もしかしたら、米中の争いは正当化できるだけでなく、宿命なのかもしれない。新しい勢力が既存のトップの地位を脅かすときに生じる、自然かつ避けられない混乱を意味する「トゥキディデスのわな」はもう皆がよく知るところだ。急激に台頭する国と既存の大国、一党支配国家と民主主義国――。紛争の材料はすべてそろっている。
しかし、こうした事情を理解しながら、それでもなお、中国に関する公の議論と著名な反対論者がいないことには不安を覚えてもおかしくないはずだ。
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議論がないことによる総意がもたらすもう一つの影響は、反対意見が政治的なタブーになりつつあることだ。ここには、しっかり向き合わなければならない暗い過去がある。米国で50年代に共産主義者を排除した「赤狩り」が一挙に広まったのはロシアとはほとんど関係がなかったことは忘れ去られている。突破口を開いたのは、例の「中国の喪失」だった。米国の外交官は、自国の議員に突き上げられた。今で言う「キャンセル・カルチャー(異論を徹底排除する社会風潮)」を最初に熟達したのは右派だったのだ。トルーマン大統領が51年、中国を攻撃したがっていたマッカーサー将軍を解任した時、すべての人が、文民統制を支持したわけではなかった。
今のワシントンは、こうした熱烈だった時代とは遠くかけ離れている。選挙の年であるということを鑑みても、「軟弱」だととられかねないことを言わない消極性は、嫌でも目につく。米国の究極の強みは、公の話題について侃々諤々(かんかんがくがく)の議論が重ねられることだ。中国の問題については、不安を感じさせるほどおとなしい。
(16日付)