◎【中外時評】米国を引き裂く文化戦争
上級論説委員 小竹洋之
「シンボルズ・マター(象徴は大切だ)」。黒人差別への抗議が続く米国では、白人記念碑の撤去だけでなく、20ドル札の刷新を促す声も広がる。女性実業家のバーバラ・ハワードさんが主宰する草の根運動が代表的である。
20ドル札の表面を飾るのは、第7代大統領のアンドリュー・ジャクソン(在任1829〜37年)。庶民のための政治で人気を博しながらも、先住民の強制移住で批判を浴びた異端児として知られる。
これを黒人女性の活動家ハリエット・タブマンに代えてほしい――。19世紀から20世紀にかけて黒人奴隷と女性の解放に尽くした「女モーゼ」こそが、20ドル札の顔にふさわしいとハワードさんは言う。
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「7月4日はあなたたちのものであって、私たちのものではない。あなたたちは祝っても、私たちは悼まなければならないのだ」
黒人とリベラルの抗議活動を「左翼の文化革命」や「極左のファシズム」と断じ、「歴史の抹消は許さない」と言い切るトランプ氏。共和党の支持基盤を鼓舞し、自身の再選につなげるため、大統領が文化戦争を先鋭化させているのが最大の問題である。
しかしバイデン前副大統領を担ぐ民主党も、人種や性などの違いを際立たせる「アイデンティティー政治」に走りすぎてはいないだろうか。トランプ憎しの感情が先に立ち、異なる価値観への寛容さを失っているようにみえる。
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2016年の大統領選でクリントン元国務長官がトランプ氏に敗れたのはなぜか。コロンビア大学のマーク・リラ教授は自著で、民主党の行き過ぎたアイデンティティー政治を一因にあげた。
「一つにまとまっていた光線を、プリズムで虹のような複数の色の光線に分けてしまった」。民主党がその教訓を生かしているとは言えない。共和党に対抗して中間層などに広く訴える公約やスローガンを欠いたまま、「反トランプ」でかろうじて結束を演出しているのが実情だろう。
調査会社イプソスが米国民を対象に、最も懸念する問題を複数回答で尋ねたところ、新型コロナウイルス(52%)、失業(34%)、医療保険(29%)が上位を占めた。共和・民主両党が文化戦争やアイデンティティー政治に血道を上げるあまり、庶民が望む医療や経済の政策課題を置き去りにしてほしくはない。