〈文化〉 不思議な漢語の世界 荒川清秀
中国⇔日本
交流を通して語彙が豊かに
●同じ漢字でも異なる意味
日本語と中国語には同じ漢字で書かれている“ことば”がたくさんあり、これを「日中同形語」と呼んでいます。これはつまり、日本と中国は、ことばの交流を通じてお互いの語彙を豊富にしてきたということです。しかし、日中同形語は必ずしも意味が同じとは限りません。
よく挙げられる例だと、「手紙」と書いて「トイレットペーパー」のことだとか、「勉強」と書いて「無理矢理(する)」だとか、「湯」が「スープ」で、「?」が「ブタ」だとかです。
これらは言われてみればなるほどと思います。しかし、中にはなかなか気付かないことばもあります。例えば、「電池」はなぜ「池」がついているのか、「銀行」の「行」とは何かなどです。
日本と中国は明治までは日本の一方的な輸入超過でした。これは直流です。日本の漢語、漢字はこの時代までにたくさん輸入されました。
これが逆転するのは日清戦争(1894年)で中国が負け、多くの留学生や外交官、亡命知識人が日本にやって来てからです。当時日本では近代語がほぼ確立していました。こういう近代語はほとんど漢字でつくられた漢語です。
中国人はこれらを中国語の中へ持ち込み、中国の近代語確立の助けとしたのです。この中には、「政治、経済、社会、文明、哲学、国会、義務、健康、化石、化学」などがあります。ここで交流が成立します。
●「熱帯」日本製説に疑問
ところが、ここ30年来の日中欧の研究で、中国人が日本製と思っていた漢語の中に、もともと中国でつくられたものがあることが分かってきました。
考えてみれば、日本の開国はペリー来航の翌年の1854年。中国はそれより12年も早いアヘン戦争後の1842年です。それ以前でも明・清の海禁政策は緩く、ヨーロッパからカトリック、プロテスタントの宣教師たちが東洋布教を目指して中国そして日本へやって来ました。
彼らはもちろんキリスト教の布教が目的ですが、皇帝や官僚たちの歓心を買うため、当時の先端の科学書の翻訳をしました。「地球」とか「熱帯」「寒帯」「病院」といったことばは彼らの翻訳書で使われたものです。
ただ、残念なことにこれらの書は中国ではあまり重視されず、それより海外知識に飢えていた鎖国日本の開明大名、蘭学者たちに読まれました。
「病院」などもその当時に伝わり、現在まで続くものです。ただ、中国ではむしろ「医院」が好まれ、「病院」は中国では廃れてしまいました。
「医院」の「医」は日本では医者を連想するでしょうが、中国では「なおす(医)ところ」という意味です。これなどもなかなか気付かないものではないでしょうか。
私が最初にこうしたことばに関心をもったのは、「熱帯」日本製説に疑問をもったからでした。
「あつい地帯」なら日本人は「暑帯」とするのではないか。それが「熱帯」なのは、気温にも「熱」を使う中国語においてではないかという疑問です。
そして、それを遡っていくと、16世紀末に中国へやって来たイエズス会宣教師マッテオ・リッチの世界図、著作までいったという次第です。漢字、漢語の謎を探索する中で日中の文化交流の地平の広がりが見えてくるのです。
(愛知大学名誉教授)