◎池田大作研究/佐藤優氏(第28回)
権力による罪の捏造
老獪で巧妙な弾圧
筆者は、鈴木宗男事件に連座して東京地方特別宗三郎に逮捕された経験があるので、被疑者の心理が手に取るようにわかる。もっとも筆者の場合は、否認を貫いたので512日間、東京拘置所の独房に勾留されることになった。
公判で、「早く保釈されたいので、取調官に迎合し、事実と異なる調書を作成しました」と訴えても、裁判官がその主調を認めることはまずない。だから、警察官や検察官は、無理をしてでも捜査当局の筋読みに合わせた自白調書を取ろうとする。
「早く自供しなければ、かわいい子どもの修学旅行に間に合わなくなる」
子煩悩な父親の信条に訴えるというのは、警察官や検察官がよく使う手だ。
検察が、この機会に徹底して取り締まり、壊滅的な打撃を与えておこうとの方針をとったとしても不思議ではない。だが、そこには、少なからず創価学会に対する感情的な偏見があり、その将来に、いわれなき恐怖をいだいていたことも確かであろう。
これこそが「猶多怨嫉(ゆたおんしつ)」
権力は魔性の力となって、弾圧の牙をむくのである。
●弾圧した勢力の中にも無罪を考える人がいる
「幕府内には、大聖人を赦免すべきであるとする勢力もあった」
池田は、日蓮を弾圧した鎌倉幕府自体が悪であるという立場を取っていない。
警察や検察、さらに裁判所にも池田は無罪であると考える人がいるはずだ。
しかし、極楽寺良観や念仏者たちは、なんとしても、大聖人を無罪放免にしてはならないと考えた。
日蓮大聖人の御在世当時とは異なり、現代は法治国家である。………それだけに弾圧の方途も、より老獪で巧妙なものとなってきているといえるかもしれない。
時には、法を拡大解釈し、違法として裁断し、ある場合には、過剰なまでに監視の目を光らせ、わずかでも法に抵触する可能性があれば、厳しく取り締まるということもあろう。
いずれにせよ、故意に社会的な問題をつくりだし、それを口実にして叩きつぶそうとするだけに、多かれ少なかれ、冤罪を生むことは間違いない。
この大阪事件が、まさにそうであった。
そして、大阪事件に対して、池田は、反体制活動家とは本質的にことなる独自の闘いを展開する。