???????????????????????
◎弾圧を恐れて国家神道を受け入れた日蓮正宗宗門を牧口先生は厳しく諌め、軍部権力と敢然と対峙していきます。1943(昭和18)年7月6日朝、牧口先生は訪問先の伊豆で、治安維持法違反・不敬罪の容疑で検挙され、同日朝、理事長だった戸田先生も東京で検挙。ともに逮捕・投獄され、会は壊滅状態となりました。牧口先生、戸田先生は、厳しい尋問にも屈せず、信念を貫く獄中闘争を続け、牧口先生は1944(同19)年11月18日、創価教育学会創立から14年後のその日、老衰と極度の栄養失調のため、拘置所内の病監で逝去しました。満73歳でした。
牧口先生の思想は、1945(同20)年に出獄した戸田先生によって受け継がれていきます。
◎三十年戦争(さんじゅうねんせんそう、独: Dreißigjähriger Krieg)は、ボヘミア(ベーメン)におけるプロテスタントの反乱をきっかけに勃発し、神聖ローマ帝国を舞台として、1618年から1648年に戦われた国際戦争。ドイツとスイスでの宗教改革による新教派(プロテスタント)とカトリックとの対立のなか展開された最後で最大の宗教戦争といわれる。当初は神聖ローマ帝国内で局所的に起きた小国家同士のプロテスタントとカトリックの戦争が神聖ローマ帝国国外以外にも波及。当時のヨーロッパでは大国として大きな影響力を持っていたデンマーク、スウェーデン、フランス、スペインなどヨーロッパ中を巻き込む国際戦争へと発展した。
☆百年戦争(ひゃくねんせんそう、英語: Hundred Years' War、フランス語: Guerre de Cent Ans)は、フランス王国の王位継承およびイングランド王家がフランスに有する広大な領土をめぐり、フランス王国を治めるヴァロワ朝と、イングランド王国を治めるプランタジネット朝およびランカスター朝というフランス人王朝同士の争いに、フランスの領主たちが二派に分かれて戦った内戦である。国家という概念は薄い時代であり、封建諸侯の領地争いが重なったものであったが、戦争を経て次第に国家・国民としてのアイデンティティーが形成されるに至った。現在のフランスとイギリスの国境線が決定した戦争でもある。百年戦争は19世紀初期にフランスで用いられるようになった呼称で、イギリスでも19世紀後半に慣用されるようになった。
◎安田講堂(やすだこうどう)は、東京大学本郷地区キャンパスにある講堂である。正式には東京大学大講堂(とうきょうだいがくだいこうどう)というが、東大の学内では「安田講堂」が用いられる。収容人数は1,144席(3階席・728席 / 4階席・416席)。
安田財閥の創始者・安田善次郎の匿名を条件での寄付により建設されたが、善次郎の死後に寄付を行っていたことが知られるようになったことで善次郎を偲び、一般に安田講堂と呼ばれるようになる。
◎アンネ・フランク(アンネリース・マリー・フランク、ドイツ語: Annelies Marie Frank De-Annelies_Marie_Anne_Frank.ogg 発音[ヘルプ/ファイル]、1929年6月12日 - 1945年3月上旬)は、『アンネの日記』の著者として知られるユダヤ系ドイツ人の少女である。
ドイツ国のフランクフルト・アム・マインに生まれたが、反ユダヤ主義を掲げる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の政権掌握後、迫害から逃れるため、一家で故国ドイツを離れてオランダのアムステルダムへ亡命した。しかし第二次世界大戦中、オランダがドイツ軍に占領されると、オランダでもユダヤ人狩りが行われ、1942年7月6日に一家は、父オットー・フランクの職場があったアムステルダムのプリンセンフラハト通り263番地の隠れ家で潜行生活に入ることを余儀なくされた(フランク一家の他にヘルマン・ファン・ペルス一家やフリッツ・プフェファーもこの隠れ家に入り、計8人のユダヤ人が隠れ家で暮らした)。ここでの生活は2年間に及び、その間、アンネは隠れ家でのことを日記に書き続けた。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
0186〜0237 開目抄 0197:11〜0198:03
第20章 爾前迹門の二失を顕わす
講義
「本門にいたりて始成正覚をやぶれば」等の文について
寿量品において「然善男子・我実成仏」等の文が始成正覚を破る文である。十界の因果とは、十界各具の因果ではなくて、九界を因とし仏界を果とする因果である。蔵教・通教の中にも、依法はただ六界を明せども正報には十界を明かしているが、別円をも含めた四教の因果をことごとく破っているのである。
「九界も無始の仏界」等の文について
寿量品に、本果の常住を説いて「我実成仏已来無量無辺」等といい、本因常住を説いて「我本行菩薩道所成寿命今猶未尽」等と、本有常住の十界互具を説いている。これが真の事の一念三千である。しかし、文底下種・直達正観の事行の一念三千に対する時は、文上の法華経は迹本二門ともに理の一念三千となるのである。本文の元意はじつにここにあり、詳しくは三重秘伝・種脱相対の項で論ずるごとくである。