Contents
RSS 2.0

ブログ blog page

2020.6.28-4

2020年06月28日 (日) 00:56
2020.6.28-

???????????????????????

◎アンティオキア攻囲戦
(アンティオキアこういせん、Siege of Antioch)
第1回十字軍の主要な攻城戦の一つ。1097年10月から1098年6月まで、シリア地方の重要都市アンティオキアを舞台に戦われた。

第一段階は、十字軍が都市を守るセルジューク朝系のテュルク人などムスリムに対して行った攻城戦で、1097年10月21日に始まり1098年6月2日に都市が陥落して終了した。

第二段階は、アンティオキアを制圧した十字軍に対し救援に駆け付けたムスリム軍が行った攻城戦で、1098年6月7日に始まり6月28日に十字軍が城外でムスリム軍を破り終了した。

◎『ジゼル』(Giselle )は、1841年にフランスで初演されたバレエ作品。全2幕。作曲はアドルフ・アダン、振付はジャン・コラーリとジュール・ペローによる。初演時の題名は 『ジゼル、またはウィリたち』(Giselle, ou Les Wilis )。

◎ヴェルサイユ条約(ヴェルサイユじょうやく、仏: Traité de Versailles)は、1919年6月28日にフランスのヴェルサイユで調印された、第一次世界大戦における連合国とドイツ国の間で締結された講和条約の通称。

◎ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau、1712年6月28日 - 1778年7月2日)は、フランス語圏ジュネーヴ共和国に生まれ、主にフランスで活躍した哲学者、政治哲学者、作曲家。

『エミール』(仏: Emile)は、1762年に刊行された、フランスの哲学者ジャン=ジャック・ルソーの小説風教育論。正式名称は『エミール、または教育について』(仏: Émile, ou De l’éducation)。近代教育学の古典であり、ルソーが教会と政府の追及を受け、スイスへと逃亡・放浪生活を送ることになる契機となった著作でもある。


【一年前】
新神戸に来ております。
新神戸は今年は1月4日(紺野美沙子『源氏物語』) 以来2回目。
合わせて6回目ほどでしょうか。結構、縁があります。

9:00〜17:00レンタカーで神戸市10件と尼崎市10件回ります。
?神戸市4件→尼崎市10件→神戸市6件→サウナ??♂??
昨日のお昼過ぎ、今日最後に回る予定の、神戸市西区在住、相続税のお客さんから問い合わせの携帯。まさか今日私が来るなんて思いもよらないだろう。?

妻「電話作戦はお父さんにピッタリ?上手になったバッチリ?」
昨日の電話作戦はブレークタイム。
3日連チャンはさすがに………?
金曜日から再開。

◎兵庫交流20件準備完了?
「ご無沙汰しております。
明日はいらっしゃいますか?
明日そちらに来ますので、
ちょっと寄らせて頂きたいと思いまして」
?

◎午前中相続税1件打合せ&午後も相続税作業
16:30出かける直前「お、小規模宅地評価減が合うた!!??」

◎初めての『新幹線みずほ』
鹿児島中央16:32発~熊本~博多17:55着~小倉~広島~岡山~新神戸20:10着~新大阪 20:24着………3時間52分?
鹿児島大阪間の主要都市のみを最速4時間内で繋ぐ。

【二年前】
◎半分、青い
「すずめ、結婚しないか」
………
妻「あ〜私に言ってくれないかな?佐藤健君」
?

【三年前】
◎nimocaが出てきた!
お昼前、大牟田税務署に相続税の申告書を一件提出した後、その前にあるLAWSONで買い物支払いを済ませたところで、
……聞こうかな聞くまいかな…恥ずかしいけど、勇気を出して……
「あのうnimocaの忘れ物がなかったですかね?」
「え、ちょっと待って下さい……何日前位ですかね?」
「たぶん4〜5日前かな?」
「あ、3,000円チャージされて、そのあとATMでキャッシングされた方でしょ?」
「あーそうだったですかね」
「これじゃないですか?」
(3,000円チャージのレシート残高4,117円)
「あ、たぶんこれです……わ、良かった、スミマセン♪」

ーーということで、忘れ物したnimocaが出てきました!ラッキー♪?

私「これで2回目」
妻「ちゃーんとしとかんなんたい!この前もやったでしょうが。2回あることは3回ある」
?



◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

0186〜0237 開目抄 0197:11〜0198:03 
第20章 爾前迹門の二失を顕わす

此等の二つの大法は一代の綱骨・一切経の心髄なり、迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失・一つを脱れたり、しかりと・いえども・いまだ発迹顕本せざれば・まことの一念三千もあらはれず二乗作仏も定まらず、

この二つの大法は、一代仏教の綱骨であり一切経の心髄である。迹門方便品は一念三千を諸法実相に約して説き、また二乗作仏を説いて、爾前経の二種の失のうち一つを脱れた。しかりとはいいながら、いまだ迹門では、仏の本地をあらわしていないゆえに、本有常住の生命の実体を説き明かしていない。すなわち発迹顕本していないから、生命の実体が不明で、真実の一念三千もあらわれず、二乗も作仏すべしと説かれたものの、本有常住の十界互具の生命が説かれていないから、仏の生命も九界の生命もその実体が不明で、したがって二乗作仏も不定である。たとえていえば、一念三千を説いたけれどもそれは理の上で説いたに過ぎないから、水面に浮かぶ月影のようなもので、形はそのとおりであるが、実体そのものではないのである。また二乗が作仏するといっても、仏界・九界ともにその本体を説かれてないので、根なし草が波の上に浮んでいるごとく、現在において成仏するというだけで、その原因も過去世の下種もわからないから、「定まらず」とおおせられるのである。


トラックバック

トラックバックURI:

コメント

名前: 

ホームページ:

コメント:

画像認証: