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2020.6.22-4

2020年06月22日 (月) 00:15
2020.6.22-

◎ラフィアの戦い(英: Battle of Raphia、紀元前217年6月22日)は、第4次シリア戦争の戦闘であり、セレウコス朝の王アンティオコス3世とプトレマイオス朝のプトレマイオス4世との間で戦われた会戦である。この戦いは第4次シリア戦争の帰趨を制した。この戦争はアンティオコス3世が、プトレマイオス朝の支配下にあったシリア南部(コイレ・シリア)の支配権獲得を目指してプトレマイオス朝の領土に侵攻したことではじまった戦争である。ラフィアの戦いでアンティオコス3世は敗れ、セレウコス朝の南部シリア方面への拡大政策は頓挫し、プトレマイオス朝は自国領土を防衛することに成功した。

◎律令時代
律令時代に設けられた当初の東海道は箱根峠ではなく、箱根山北方にあって、相模国(南足柄市)駿河国(小山町)との境に当たる足柄峠を経由した。当時、足柄峠には足柄関が設置されていた。しかし、富士山の延暦噴火(800年 - 802年)の為に通行が困難になったため、新たに箱根峠の街道が開かれた。その後、足柄峠のルートも再開した為、二つの街道が並存した。

足柄峠(あしがらとうげ)は静岡県駿東郡小山町と神奈川県南足柄市の間にある峠。箱根外輪山から北に伸びた尾根上に位置し、箱根峠とともに東海道を構成する。標高 759m。

鎌倉時代から天正時代まで
東海(駿府、浜松など)や関東(鎌倉、小田原など)に本拠地を置く戦国武将は、箱根峠と足柄峠を防衛の要衝としていた。鎌倉時代以後の「関東」の定義は、「東海道の箱根峠、足柄峠から東の地」となり、この定義が第二次大戦後の「関東地方」の基になっている。

戦国時代には、箱根を介して武田氏・後北条氏・今川氏が「甲相駿三国同盟」を結んでいた。

矢倉沢往還(やぐらざわおうかん)は、江戸時代に整備された街道で、江戸城の赤坂門(赤坂見附)から相模国、足柄峠を経て駿河国沼津宿を結び、東海道の脇往還としても機能していた。

江戸から大山への参詣道として使われ「大山街道」、「大山道」、厚木街道などとも呼ばれた。


◎元弘の乱の主要な舞台となった。元弘2年(1332年)の正成再挙兵後、新たに築いた当城が楠木氏の城の一つとなり、幕府軍に対抗した。元弘3年/正慶2年2月22日(1333年3月8日)に発生した上赤坂城の戦いでは、平野将監入道と楠木正季(楠木正成の弟)が、鎌倉幕府の阿蘇治時・長崎高貞・結城親光らと戦った。閏2月1日(3月17日)に上赤坂城は落城したものの、幕府軍を苦しめ、千早城で発生した千早城の戦いと合わせて、元弘の乱での後醍醐天皇勝利に大きく貢献した。

周辺の金剛山の尾根上には下赤坂城とともに猫路山城・国見山城・枡形城等の出城が築かれており、赤坂城塞群を形成していた[1]。この城塞群は南北朝期にも南朝方の拠点となったが、延文5年/正平15年(1360年)に北朝方の手に落ちた。



◎日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(にほんこくとだいかんみんこくとのあいだのきほんかんけいにかんするじょうやく、朝鮮語: ????? ??? ?? ?? ??? ?? ?? (大韓民國? 日本國 間? 基本關係? 關? 條約))
昭和40年(1965年)6月22日に日本と大韓民国との間で結ばれた条約。通称日韓基本条約。

財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(ざいさんおよびせいきゅうにかんするもんだいのかいけつならびにけいざいきょうりょくにかんするにほんこくとだいかんみんこくとのあいだの協定)
1965年に日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約と同時に締結された付随協約のひとつ。日韓請求権並びに経済協力協定。

第7次会談(1964年12月3日-1965年6月22日[19])
1965年6月22日に文化財及び文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定が締結された。

日韓会談での争点
旧条約無効問題
「日韓併合条約#条約に関する論争」、「韓国併合#日韓基本条約による諸問題の清算」、「韓国併合再検討国際会議」、および「戦勝国」も参照
本条約は締結されたとは言え、これ以前に締約された日韓併合条約や協定に対する「もはや無効であることが確認される」という条文に対して日韓両国の解釈が異なるなど、歴史認識論議が絶えない。

韓国側は、本条約の締結により「過去の条約や協定は、(当時から)既に無効であることが確認される」という解釈をしているのに対し、日本側は本条約の締結により「過去の条約や協定は、(現時点から)無効になると確認される」という解釈をしている。これは、特に韓国併合に対して、韓国側は「そもそも日韓併合条約は無効であった」という立場であるのに対し、日本側は「併合自体は合法的な手続きによって行われ、併合に関する条約は有効であった(よって、本条約を持って無効化された)」という立場をとるという意味である[10]。これは、韓国側が主張した "null and void" (無効)に already を加えて "already null and void" (もはや無効)とし、双方の歴史認識からの解釈を可能にしたもので、事実上問題の先送りであった。


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