【一年前】
◎母の四十九日法要
11:30
ちょうど荒尾玉名の方々の交流勤行会終了とはち合わせ、
親戚の方「なんのお参りのありよっとかね?」
??
大牟田文化会館の法話室(8名)
「ほ〜仏壇の扉の自動で開きよる」
終了後、せっかくですから親戚の方々をエレベーターで礼拝室にご案内しました。
「ほ〜すごさ〜?………これは全部寄付やろだい?」
「はい、この畳数畳分くらいは私も?」
?
【二年前】
◎感動のクライマックス
2014年01月14日 (火) 01:55
(最後がきたらしい)
「あすだ」
(あれは、楚歌(そか)ではないか)
しかも四面ことごとく楚歌であった。
ーーわが兵が、こうもおびただしく漢に味方したか。
「酒の支度をせよ」
みな、ともに飲もう
「酔うほどには飲むなよ」
「飲み了(お)えればめいめいが城を落ちるのだ。運を天にまかせ、いず方なりとも血路をひらいて落ちのびよ」
「まだあるか」
「酔え。ーー」
力は山を抜き 気は世を蓋(おお)ふ
時に利あらずして
騅(すい)逝(ゆ)かず
騅逝かざるを奈何(いかん)すべき
虞や虞や若(なんじ)を奈何せん
彼女が舞いおさめると項羽は剣を抜き、一刀で斬りさげ、とどめを刺した。
項羽の脱出は、すさまじいものであった。
ーーまさか項王ではあるまい。
「江南へ帰るのだ」
「黄金千金に加え一万戸の封地」
「諸公よ」
「わしは兵を挙げて以来、こんにちまで七十余戦を戦い、ことごとく勝った。そのわしがこんにちの窮境に立ちいったのは天がわしを滅ぼそうとしているからである」
「大王のお言葉のとおりでございます」
ーー天が、楚王項羽を滅ぼしたのだ。
「大王よ、早くこの船にお乗りくだされ」
(この男ならば、自分のやったことと、やろうとした志を長く世間に伝えてくれるだろう)
項羽の死は、紀元前二〇二年である。ときに、三十一歳であった。
?項羽がすさまじい勢いで城から駆け逃げる姿が、瞼に浮かぶ、感動のクライマックス!!
【三年前】
◎創価同窓と食事
創価大学の同じクラスの同級生と。
「日本の中国報道は片寄っているから、猿渡は過剰反応しない方がいい」
「やっぱりそうかあ」
今年の「上海創価大学交友会」は9月3日(日)との事。?
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
開目抄 0196:02〜0196:14 第18章 本迹相対して判ず
これほどいみじく優れた御経には、何一つ隠すべきではないはずなのに、二乗と一闡提は成仏しないと説かれているのは、珠の疵であるとみられる上、三か所にまでこの世で成仏したと説き、久遠の成仏、すなわち生命の永遠を説き隠している。珠が破れたごとく、月が雲に隠れたごとく、日が蝕したごとく、じつに思議なことである。阿含・方等・般若・大日経等は仏説であるから、一応はいみじき経文であるけれども、かの華厳経に相対すれば、いう甲斐もなき劣れる経である。華厳経に秘し隠したことをこれらの経々に説かれるはずがない。ゆえに雑阿含経には「初め成道」と。大集経には「如来成道始め十六年」と。浄名経に「始め仏は樹に面して坐り修行に力めて魔を降した」と。大日経に「自分は昔道場に坐して」と。仁王般若経に「二十九年」等と説かれて、いずれも釈尊がインドに生まれてから、出家して修業し、成仏したと説いており、法華経寿量品の久遠の実成・永遠の生命観に対すれば、いずれも劣れる経で、問題にならないのである。