◎元寇(げんこう)とは、日本の鎌倉時代中期に、当時モンゴル高原及び中国大陸を中心領域として東アジアと北アジアを支配していたモンゴル帝国(元朝)およびその属国である高麗によって2度にわたり行われた対日本侵攻の呼称である。1度目を文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、2度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)という。蒙古襲来とも。
◎ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ(Duccio di Buoninsegna、1255/1260年頃 - 1319年頃)は、ゴシック期のイタリアの画家。13世紀末〜14世紀初頭にシエナで活動した。その様式はビザンティン絵画を基盤としながらも、人間描写や空間把握は現実感を増している。チマブーエ、ジョットとともにゴシックとルネサンスの橋渡しをした、西洋絵画史上重要な画家の一人である。
◎英蘭戦争(えいらんせんそう、英: Anglo-Dutch Wars)は、17世紀後半の3次にわたるイングランドとネーデルラント連邦共和国(オランダ共和国)の戦争を言う。さらに、状況が変わった18世紀の戦争も同様に英蘭戦争と呼ばれている。また、イギリス・オランダ戦争とも呼ばれる。
◎ウィーン体制(ウィーンたいせい、Vienna system, Vienna Settlement)とは、ウィーン会議(1814-1815年)以後のヨーロッパの国際秩序である。1848年革命を経てクリミア戦争(1853年-1856年)によって完全に崩壊するまで続いた国際的体制であった。
ウィーン会議でフランス首相タレーランの主張した正統主義を基に、フランス革命とナポレオン戦争で荒廃・混乱したヨーロッパを、それ以前の状態に復活させることにより大国の勢力均衡を図った。キリスト教の理念に基づく神聖同盟やフランスを牽制する四国同盟(のち王政復古を果たしたフランスも加入が認められて五国同盟となる)など、従来の君主制に立脚する列強を中心に自由主義・国民主義運動を抑圧した。一方で、その基本理念はヨーロッパの協調にあり、国家間の諸問題の解決に外交努力を惜しまなかったことから、歴史的にみても比較的長期(見方によっては第一次世界大戦まで)の安定をヨーロッパにもたらした。
しかし、産業革命による市民生活の発展や大国間の利害関係の複雑化、あるいは1830年前後のギリシア独立戦争・フランス7月革命などの動揺などから次第に枠組みが揺らぎ始め、1848年革命の波及により大国の被支配地域を中心にナショナリズムが先鋭化すると自由主義・国民主義を抑圧する機能が維持できなくなった。そして体制を支えていた同盟国同士が自国の利益のみを追求するようになると列強間の平和維持の役割も果たせなくなったため、英露対立やフランス第二帝政の成立などを背景とするクリミア戦争を回避することができず、最終的に体制は崩壊した。
【一年前】
お、熱ッ!!
やっぱ熱ッ!!
沖縄3泊4日
沖縄は3回目
大栄会男衆4人旅??
焼肉が柔らかくて美味しかった???
泡盛の水割り?
泡盛のカクテル?
国際通り?
【二年前】
◎今朝も妻と面と向かって朝食していると…
???
私「あ〜やっぱり髪の短くなっとるね」
妻「今ごろ気づいたごして!!
髪切ったの一週間前?」
「いつも可愛いかけん分からんとたい」
「もう期待しとらん」
?
【三年前】
◎今朝の夫婦の会話
私「俺よりはーよ(早く)寝て、おーそ(遅く)起きて、やっぱり俺より長生きするばい!」
妻「良かやんね、私の方が長生きせんなんでしょうが!お父さんは誰も世話してくれんよ」
??
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
0186〜0237 開目抄 0195:13〜0196:01
第17章 明証を引いて難信の信を勧む
現代語訳
日蓮いわく、日本国に仏法がわたって、すでに七百余年になるが、ただ伝教大師一人のみが法華経を読まれたと日蓮が申すのを、国中の諸人はこれを用いない。ただし法華経には「もし須弥山のごとく世界最高・最大の山を取り上げて、無数の仏土に投げ置くことは、いまだそれほど困難のことではない。もし仏の滅後に悪世の中でこの法華経を説くことは、はなはだ困難のことである」と。日蓮がただ一人正しく、他はすべて謬っていると説く強義がこの経文にまったく一致している。法華経の流通分たる涅槃経に「末代濁世には、謗法の者は十方世界の土のごとく多く、正法の者は爪の上の砂のごとく僅少である」と説かれていることは、どういうことか。まったく今の日本国の姿である。日本の諸人は爪上の土か、日蓮は十方の土か。そうではない。爪上の土たる正法が日蓮で、十方の土たる謗法が諸人であることをよくよく考えてみなさい。賢王の世には道理が勝ち、道理が世間に用いられるが、愚主の世には道理にあらざる非道が先に立つ。今の日本は愚王で、正法の日蓮を用いないが、聖人の世に法華経の実義があらわるべしと心得なさい。
以上の法門は、迹門と爾前と相対して、爾前の強く迹門の劣るように思える。もし爾前が強いならば、舎利弗等の二乗は永く不成仏の者となるのであろう。さぞかし嘆くことであろう。