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2020.6.7-4

2020年06月07日 (日) 00:21
2020.6.7-4

【一年前】
◎新人間革命第9巻(聖教6/5)
1964年(昭和39年)4月1日~12月末
我が家の入信はこの昭和39年10月9日
この日は金曜日。 私7歳、小学一年生。

池田先生は10月8日パリ〜10日プラハに向かわれるところ。
日本では東京オリンピック開幕の前日。
7年後の600万世帯の達成発表
創価大学設立構想発表
12月、沖縄で小説人間革命の執筆開始

二人が迎えに来られ、お寺に行くのを母が渋っていたところ、上の妹が「お母さん行こう?」と言ったものだから、「は〜い典子ちゃん行こうね??」とさ~と手を取って行かれたから、「それに吊られて行った。因は典子だった」と母はずっと言っていました。親父には内緒、私も全く知らず、私自身は翌年1月から5ヶ月、腎臓で入院し退院後の5月に入信しました。

入院中、母親から「ベッドの中で題目100遍あげんね」と言われ、何の抵抗もなく素直にあげていました。
私自身は信心が嫌になったことは一度もなく、間違いなく過去世からの『宿縁ふかし』。


【二年前】
◎会合の帰り道、車の中で………?
妻「ほんなこて、夫婦、信心だけで持っている。他のことはぜん?ぜん?違う」
私「何を言われても今は俺の方がじっと我慢」
妻「よー言うよ………お互い様」
?

【三年前】
沖縄は2回目
那覇市内の税理士事務所は125件!
10分で名簿を作りました。
沖縄は一日早めて、今月23(金)-24(土)に行くことにしました。

奥さん「去年の米子の時のようにWにならんごつ!
必ずツインでね」
?


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

開目抄 

第16章 滅後の難信の相を明かす 0195.07〜0195.12

講義

法華経と大日経と法華経と華厳経と 法華経と阿弥陀経と一なるやうを・とく人

真言宗においては、大日経の「我一切本初」の文を一念三千の依文なりと主張し、一念三千の法理においては法華経と大日経は同じである。ただし、大日経には印と真言があるから、この“事”においてすぐれているといった。
 また華厳宗では、華厳経の「心如工画師」の文に一念三千が示されているとして、やはり、華厳経は法華経とひとしいといった。浄土宗においては、法華経もすばらしいが、教えが高級で末法の衆生の機に合わない、ゆえに念仏を信ずべきであるといっている。
 これはこの御文のとおりの邪見の徒輩であり、仏法に無知な衆生の心をたぶらかして急速にひろまったのであった。これが、「四十余年未顕真実、世尊法久後、要当説真実」の仏の金言にそむく、邪義であることは、つぶさに論じられたとおりである。仏の金言をないがしろにし、真実をおおいかくさんとする、これら諸宗の人師たちは、まことにこれ仏敵である。かかる仏敵にたぼらかされて、かれらの一門となる者は、無間地獄の責めをまぬかれることはできないと断言されている。


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