Contents
RSS 2.0

ブログ blog page

2020.5.30-3

2020年05月30日 (土) 04:14
2020.5.30-

【一年前】
◎松下幸之助用語
『会社は公器』
創業して数年後、税務署の職員が順調に成長する松下電器に調査にきたが、見解の相違で、申告以上に利益が上がっていると指摘された。松下幸之助は、二晩眠れぬままに思案に暮れた末、「よく考えてみると、この金はもともと国家のものだ」という考えにいたった。すると悩みは解消し、翌日「必要なだけ取ってください」と税務署の職員に申し出た。その一言で、その後調査は簡単に済んだという話がある。

この発想はその後、巨額の資本を集め、広大な土地を占有し、天下の人を擁して事業を営む企業は、形は株式会社、私企業であっても、本質は世間のもの、公器であるという考えとなり、さらに公器が赤字を生むのは罪悪である、という確信にまで発展した。

私「これは私もパクらせて頂いております。
『事務所は公器』?」


【二年前】
会館講義/H副県長
19:30大牟田文化会館
創価学会の出現の目的は広宣流布なんだけれども、じゃ、広宣流布を我が使命とするということはどういうことか。

戸田先生の人間革命は牢獄の中で終わっている。池田先生の人間革命は出獄から始まっている。つまり、広宣流布を我が使命とするということは「発迹顕本」ということです。

☆今日の広宣流布は、膝づめの一対一の対話で成し遂げられる。

「化儀の広宣流布」?「法体の広宣流布」
公明党、民音も………

折伏すれば友達が無くなる?
………一時的には
………でも必ず戻ってくるよ
戸田先生「折伏すれば信用が広がる」
三世永遠の信用
仏法を語ることが大切

題目あげるから地涌の菩薩

「創価学会仏」
そう自覚していくことが大事。
なぜ自覚しないか………迷いの時間が長いから
なぜ題目あげるの?
………自分の迷いの命を断ち切るためでしょ?

ある壮年部
「いつもは題目5時間あげるけど、
今日は2時間しかあげてないので元気がありません」(笑)

縁に紛動されないためにするんでしょ?

広宣流布の大願は、自発能動?
義務や強制ではない

人間革命 先生40歳〜
新人間革命 65歳〜25年
今日ここに来た人は、先生との縁(えにし)が一番深いということですよ。

自発能動?

創価学会会憲
創価学会とSGIが一つになった
日本のやり方を他の国にはできない
他宗を批判したら引っ張られる

インド
ヒンズー教と南無妙法蓮華経を同時に信仰
比べさせる

他国の布教に創価学会は一切関知していない
現地のSGIと池田先生、直?
法は「南無妙法蓮華経」
永遠性の確立
創価学会とSGIが一つになった

192ヵ国
奇跡中の奇跡

欧州、山崎議長
最初はあまり信心していなかった
「どうして欧州に広宣流布?」
すぐには先生、答えない
「個人の内発的な自覚」

信心して人間革命し損なったら一番悲惨だよ
――せっかく学会員になったんだから
「三世に渡る付き合いをさせて下さい?」

目の前にいる人?
一人も置き去りにしない?
?????

【三年前】
6:30ホテル起床
7:00朝食
9:00トヨタレンタリース東新宿店
9:30東京戸田記念講堂(巣鴨)到着
車はすぐ近くのトヨタレンタリース巣鴨店へ。

東京戸田記念講堂は4回目です。

10:30九州から3,000人の薫風大会!
「はるばる海を超え島を超え……」(笑)
たぶん明日の聖教に載るかな?

11:30終わったらサッと出ましたら、娘と奥さんにバッタリ。娘の肩を叩き(家ではこんなこともないのだが)、奥さんからは握手を認められポッ? 熊本の妹(本部長)も一緒でした。?

そのあとまっすぐ調布に向かい、北多磨3区を12件(調布市10、狛江市2)を、順調に回ることができました。

途中スマホの大容量バッテリーが切れ、ちょうど目の前に西友がありましたので、そこで充電済みの大容量バッテリーを買い求め事なきを得ました。

最後にお伺いした狛江市の税理士は一軒家。私の判定は◎ 奥さんが出て来られ、「あ、お葉書を戴いた方ですね。……え、わざわざ九州から?……わ、主人に言っておきます!」

全部回り終わって、羽田空港に向かう首都高速では、もう眠たくて眠たくてかなりヤバイ状態でした。


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

開目抄 

第15章 多宝分身の証明を示す 0193.16〜0195.06

講義

 以上のとおり、本抄においては、四十余年の諸経では絶対に二乗は仏にならないと、あらゆる角度から釈尊が説かれたのに、後八年の法華経で、たちまち成仏すると決定されたことに対して、種々の疑問が起こるであろうが、正しい眼ですなおに経文を拝するならば、法華経が真実であることを、明々白々であるとお示しあそばされているのである。
 すなわち、まず、法華経において二乗が作仏する由を説き出され,つぎに爾前経において、二乗は作仏せぬという幾多の経文を引いて、法華経と爾前の経々との相違を論じられた。されば、法華経を真実となすか、爾前の経を真実となすかという問題が起こってくる。爾前が真実なりと主張するのも、法華経が真実なりと主張するも、それだけでは、ただ水かけ論的に思われる。しかれば、大聖人は、多宝の証明、諸仏の舌相放光をもって法華経真実なりと断定なされたのである。


トラックバック

トラックバックURI:

コメント

名前: 

ホームページ:

コメント:

画像認証: