【一年前】
◎朝、採血
妻「ご飯も食べんで何処に行っとるとかなと思った」
私「ご飯も食べんで行く所は病院しかない」
「あははは……確かに」
「餓鬼界は満たさんと」
「餓鬼界まだあった」
「あるよ。餓鬼界も修羅界もある」
「修羅界もある?もうないと思った」
?
【二年前】
◎朝
妻「いびきかきよった。自分でわかった」
私「婦人部総会で疲れとったとやろ」
「そうたい、自分のグループだけでなく、他のグループまで動かんなんけん」
「小さな会合を一所懸命にするね」
「そらあ? 小さな会合が大事かったい。小さな会合が世界平和に繋がっていくとたい」
「素晴らしい?」
【三年前】
◎阿川佐和子さん63歳で結婚!
妻「そうね♪ それは良かったね」
私「63歳になっても綺麗だからいいもん」
妻「やっと女の幸せ掴ましたね♪」
私「惠子さんは俺と結婚して幸せ掴んだ?」
妻「言わん!すぐfacebookに載せるでしょうが?」
??
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開目抄
第14章 般若経等の二乗訶責を示す 0193.02〜0193.15
講義
前章につづいて、本抄でも爾前諸経の二乗の不成仏が示されている。とくに、ここは迦葉・舎利弗の二乗の聖僧を供養せん人天の衆々は、かならず三悪道に堕つべしと定められている。当時、これらの聖僧は、托鉢をもち、町や村をまわって、食の供養をうけて命をつないでいたのであるから、釈尊のこの一言は「我が御弟子を責めころさんや」のおことばどおりであったわけである。
しかしながら、これは、小乗の小法に執着する弟子たちの迷いを、根本的に断ち切る厳愛と拝することができる。食の道をたたれ、執着の根を切られ、はじめて、声聞の弟子たちの迷妄が覚め、かくして法華経の説法、覚道があるのである。
また、供養する者が三悪道に堕つべしとの方程式は、仏弟子たる小乗の聖僧においてすら、かくのごとくであるから、いわんや仏敵においてこれを供養する人は、無間地獄に堕ちると知らなければならない。