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2020.5.10-4

2020年05月10日 (日) 00:41
2020.5.10-

◎イエズス会でもタブーとされた会計
一五三四年に設立されたイエズス会は、数学教育を重視したが、これも商売のためではない。とはいえイエズス会士自身は、ちゃんと帳簿をつけていた。彼らはイエズス会を規律正しく運営するために会計を学び、膨大な事業を切り回す術を学んだ。彼等はまた「心の会計」システムも調え、心の帳簿に罪や善行を刻みつけた。

「商人に神を喜ばせることはできない」
「真の貴族は1スーたりとも持たない」
「倹約は悪だ」

モンテーニュでさえ『随想録』の中で、一人の利益がどれほど他人の損になるかを説いている。貴族は戦い、祷り、贅沢に暗し、事業を経営してもよいが、けっして金を数えることはなかった。

☆キリスト教の“二重人格”は歴史的だな。
?

◎イエズス会の歴史
創設
1534年8月15日、イグナチオ・デ・ロヨラとパリ大学の学友だった6名の同志(スペイン出身のフランシスコ・ザビエル、アルフォンソ・サルメロン(英語版)、ディエゴ・ライネス、ニコラス・ボバディリャ、ポルトガル出身のシモン・ロドリゲス(英語版)、サヴォイア出身のピエール・ファーヴル)がパリ郊外のモンマルトルの丘の中腹のサン・ドニ大修道院教会堂(現在のサクレ・クール寺院の場所にあったベネディクト女子修道院の一部)に集まり、ミサにあずかって生涯を神にささげる誓いを立てた。この日がイエズス会の創立日とされている[2]。彼らは清貧・貞潔の誓いとともに「エルサレムへの巡礼と同地での奉仕、それが不可能なら教皇の望むところへどこでもゆく」という誓いを立てた。

1538年の10月、ロヨラはファーヴルとライネスの二人を連れて再びローマを訪れ、会憲の許可を願った。審査した枢機卿会の面々はほとんどが好意的にこれを評価したため、教皇パウルス3世は1540年9月27日の回勅『レジミニ・ミリタンティス』(Regimini Militantis) でイエズス会に正式な認可を与えた[3]

Google『ロヨラ 会憲』

聖イグナチオによるイエズス会会憲に見られる信仰
ロヨラの聖イグナチオはイエズス会を創立し、イエズス会士たちが今に至るまで会の精神を保って生き続けるように、会の「フォルムラ」(1540年)と「会憲」(1542年)を与えた。第34回総会(1995年)で、「補則規定」が加えられた。「信仰」のテーマが、このような文書でどのように扱われているのかを見たいと思う。

イエズス会の「フォルムラ」では、第一条に、「十字架の旗のもとで神に服する兵役につき、また、地上におけるキリストの代理であるローマ教皇のもとで、主のみとその花嫁である教会に仕えようと望むいかなる者も、信仰の擁護と宣布、またキリスト教的な生活と教義において霊魂が進歩することを心がけるためである。」今は、それに「正義のための奉仕」が加えられる。

概説
16世紀の宗教改革の時代に、ロヨラのイグナティウスとその学友によって、モンマルトルの礼拝堂で「清貧と貞節、エルサレムへの巡礼」の誓いが立てられたのが、その始まりである。

イエズス会員は「教皇の精鋭部隊」とも呼ばれた。このような軍隊的な呼び名は創立者イグナチオ・デ・ロヨラが修道生活に入る以前に騎士であり、長く軍隊ですごしたことと深い関係がある。現代では六大陸の112カ国で活動する2万人の会員がいる。これはカトリック教会の男子修道会としては最大規模のものである。イエズス会の主な活動は高等教育と研究活動といった教育活動であり、宣教事業や社会正義事業と並んで活動の三本柱となっている。

イエズス会の保護者は聖母マリアの数ある称号の一つである「道の聖母(Madonna Della Strada)」。イエズス会の指導者は終身制で総長とよばれる。現在の総長はアルトゥロ・ソサ(スペイン語版) 師である。会の総本部はローマにあり、かつて本部がおかれていたジェズ教会(Chiesa del Gesù)は歴史的建築物となっている。略称はS.J.であり、中国や古くの日本では「イエス」の漢訳が耶穌であることから耶穌会(やそかい)とも呼ばれた。ジェズイット (Jesuit) 教団とも。


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