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2020.5.6-3

2020年05月06日 (水) 00:35
2020.5.6-3

【寸鉄】
戸田先生「同志と声を掛
け合い勝ち進むのが仏道
修行」。励ましを隅々に
     ◇
御書「法華経の命を継ぐ
人なれば」。信心継承と、
共に成長の家族座談会を
     ◇
神奈川の日。正義の師子
は試練の時こそ本領発揮
希望のスクラムを拡大!
     ◇
東京・豊島の日。三代会長
有縁の友は常に勇敢、朗
らか。さあ祈り強く前進
     ◇
4月、交通事故半減も死
亡増加。速度超過、歩行者
飛び出し等で。油断大敵

◎十七条憲法は、憲法十七条、十七条の憲法(じゅうしちじょうのいつくしきのり)とも言われる。『日本書紀』、『先代旧事本紀』には、推古天皇12年4月3日(ユリウス暦604年5月6日)の条に「十二年…夏四月丙寅朔 戊辰 皇太子親肇作憲法十七條」と記述されており、『日本書紀』には全17条が記述されている。この「皇太子」は、「厩豐聰爾皇子」(うまや-の-とよとみ-の-みこ)すなわち聖徳太子を指している。


◎ローマ劫掠(ローマごうりゃく、イタリア語: Sacco di Roma)は、1527年5月、神聖ローマ皇帝兼スペイン王カール5世の軍勢がイタリアに侵攻し、教皇領のローマで殺戮、破壊、強奪、強姦などを行った事件を指す。

この頃、イタリアを巡ってはヴァロワ朝のフランス王国と神聖ローマ帝国による衝突が繰り返されてきた(イタリア戦争)。1515年にはフランス王フランソワ1世の軍がミラノに侵攻し、1521年にミラノ公国を支配するスフォルツァ家を追放するが、神聖ローマ皇帝カール5世は教皇レオ10世と結んでミラノを攻めたので、フランス軍はミラノから退去している。しかし教皇クレメンス7世(レオ10世の従弟)はフランス王と皇帝のどちらに就くか揺れており、フランスと結んだ事が、ローマ略奪のきっかけになる。

1527年5月6日、ローマで皇帝軍と教皇軍の衝突が始まるが、クレメンス7世はサンタンジェロ城に逃げ込み、教皇軍は敗北した。この時、皇帝軍の指揮官であったブルボン公シャルル3世が戦死したが、指揮官を失ったにもかかわらず、配下の兵たちの士気はむしろ高まった。そして統制を失った軍勢はローマで破壊と略奪の限りを尽くした。市民らはなすすべもなく、6月に教皇は降伏した。皇帝軍がローマを撤退したのは翌年であった。

盛期ルネサンス(せいきるねさんす、英語:High Renaissance)は、美術史において、イタリアのルネサンス芸術の最盛期(1450年〜1527年)を指す言葉である。前期はメディチ家が支配するフィレンツェによるフィレンツェ派、後期はローマ教皇ユリウス2世による芸術家たちをパトロンとした時期で、活動の中心は、それまでのフィレンツェからローマに移った。このユリウス2世や、後のメディチ家出身の教皇レオ10世などはルネサンス教皇と呼ばれる。

一般に、盛期ルネサンス絵画は1490年代後半に現れたとされている。レオナルド・ダ・ヴィンチがミラノで『最後の晩餐』を描いていた時期である。

その頂点は、絵画においては、ミケランジェロやラファエロがバチカンに描いた絵画とされる。建築では、1502年に古代ローマ建築の本格的復古を告げるテンピエットをドナト・ブラマンテが建てたこと。彫刻では、静力学と運動の理想のバランスを特徴とする、ミケランジェロの『ピエタ』、『ダビデ像』が挙げられる。またヴェネツィアでは、ジョルジョーネや若きティツィアーノの、落ち着いた雰囲気・鮮やかな色彩が盛期ルネサンスの好例とされる。

◎ニューディール政策
(ニューディールせいさく、英: New Deal)
1930年代にアメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトが世界恐慌を克服するために行った一連の経済政策である。

ニューディール政策はそれまでアメリカの歴代政権が取ってきた、市場への政府の介入も経済政策も限定的にとどめる古典的な自由主義的経済政策から、政府が市場経済に積極的に関与する政策へと転換したものであり、第二次世界大戦後の資本主義国の経済政策に大きな影響を与えた。

「世界で初めてジョン・メイナード・ケインズの理論を取り入れた」と言われるが、彼の著書『雇用、利子および貨幣の一般理論』は1936年に出版されており、ニューディール政策が開始された1933年よりも後である。原案は、いち早く世界大恐慌から脱した日本の高橋是清が考案した政策(時局匡救事業)と大半の部分で共通している。

「ニューディール(New Deal)」という政策名は、マーク・トウェインが1889年に発表した小説『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』において主人公が実施した政策にちなんでいる[3]。

公共事業促進局(こうきょうじぎょうそくしんきょく)または雇用促進局(こようそくしんきょく、英語:Works Progress Administration、後に Work Projects Administration と改称、略称WPA)は、ニューディール政策期にアメリカ合衆国で発足した政府機関。

1935年5月6日に民主党政権のフランクリン・ルーズベルト大統領の「大統領令」により発足し、1943年までの間に数百万人の失業者を公共事業を通じて雇用し全米各地の地方経済に影響を与えた、ニューディール政策における最大かつ最も重要な機関である[1]。


【一年前】(5月4日)
◎朝の食卓
私「今日はお父さんは福岡市」
娘「彼女?」
?

ところが………
母親の施設から電話………
血圧が下がり、浮腫(むくみ)が酷いから、
「病院へ連れていく」と………共産党病院?
「ちょっと待ってください」
とんでもごじゃりません?殺される?
スマホで検索………近くの救急指定病院へ……
妻「酸素ボンベしとらすから来て」
………レントゲン後、若い医師
「今日明日かと思われます」
………首から点滴すれば2週間ほどは……
………延命治療はしない

【二年前】
◎「私の胸は世界文化遺産」
朝、台所前ですれ違い、久しぶりに胸を触ろうとしたら、
ぱっ?と跳ね上げられる。
「さすが早かね」
「そら文化遺産やけん」
「文化遺産?」
「私の胸は世界文化遺産やけん触られんと」
「そうね!道理で太かもん」
?


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

開目抄 

第12章 一仏二言・難信の相 0191.01〜0192.07

講義

それでは、どうして二乗作仏がなければ一念三千が成り立たないのか。いうまでもなく、地獄から菩薩にいたるまで九界のうち七界までは仏性を具していても、声聞・縁覚に具さないとなれば、十界互具にならない。また、この七界および仏に、声聞・縁覚を具していたならば、そのために成仏得道はできないことになってしまうのである。二乗の得道を許さない爾前経においては、十界互具がない。ゆえに百界・千如・三千世間なる道理がない。また、五陰・衆生・国土の三世間は法華経本門に入らなければ、あらわれないから、迹門においてすら、百界・千如までであって、一念三千にならない。このゆえに、迹門は、一応、本門の立ち場から振り返って、一念三千の名目を附するが、理の一念三千にすぎないのである。
 ところで、この二乗を生活にあてはめるならば、声聞とは学問をこころざし、研究に専念する学者階層が、これに該当する。縁覚とは、それぞれの専門において、いわゆる真理に接した、大学者、または大芸術家等をさすと考えてよいであろう。これらの人々は、爾前の諸経においては、徹底的に嫌われ、弾呵されたのである。


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