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2020.5.5

2020年05月05日 (火) 00:16
2020.5.5

5月5日(火)

??5・5「創価学会後継者の日」

??1821年5月5日
ナポレオン・ボナパルト(1769-1821)
幽閉先のセントヘレナ島で没。現在も死因は不明。

??海洋画家、イヴァン・アイヴァゾフスキー(1817-1900)没。
画像は『第9の波濤』(1850)

??1912年(明治45年)5月5日
第5回夏季オリンピック・ストックホルム大会が開幕。
7月22日まで。
日本がアジアの国で初めてオリンピックに参加した。共に陸上競技で短距離の三島弥彦とマラソンの金栗四三の2名が出場
昨年の大河ドラマ「イダテン」で詳しく紹介された。


◎新しい青年の歌「未来の地図」
………
涙の大地に根を張ろう
………
僕が置き去りにしてたのは
誰でもない自分の心だ
………


◎東京牧口記念会館創価大学正門  (5月2日午後撮影)

◎今朝、鳥取に虹がダブルレインボー(鳥取の友人より)

◎新幹線車両内、行きも帰りも1人?

●中国式マッサージ120分
「今日は天神でお買い物か何かで?」
「いえ、これのためだけに出てきました」
「それはありがとうございます」
「ずっと家にいると奥さんのストレスが溜まりますから」
?

妻「鯛焼き、よー買ってきてくれたね」
「出かけているときは奥さんのことばかり考えているから」
「はいはい、よー言うよ」
?

妻「ず〜うっと音楽聴きよるね??」
「音楽とマッサージと奥さんなしには生きていけない」

妻「お父さんは人のせんことをいっぱいしてきたから、あれしたい、これしたいは、もうなかろ」
「そうね。人の10人分くらいは生きとるかな」
「そうよ? これからは自分のためではなく、人のために生きらんなら」



【寸鉄】
新たな青年の歌が完成。
さあ誓いの歌声を共に!
平和の地図を若人の力で
     ◇
明日まで創大・女子短大
のオンライン見学会。宝
の君よ世界市民の揺籃に
     ◇
帰省できなくとも会話は
できる。ビデオ通話など
で旧友らと心通う一時を
     ◇
新緑輝く「みどりの日」。
万物躍動の季節。我らも
深き祈りで生命力満々と
     ◇
10万円給付に便乗の不審
メール相次ぐ。個人情報
聞き出す目的。?見抜け


◎名字の言 本紙配達員のもとに届いた“真心”
「ポストに手紙を入れたから、何かのついでに見てください」。ある日の朝、本紙の配達に携わる友のスマホにメッセージが届いた。地区の婦人部の先輩からだった▼ポストを開けると「いつも配達、ご苦労さまです。よかったら使ってね」とのメモと共に、ミシンで縫われた手製のマスクが。入手しにくいマスクを頂いたことはありがたい。しかし、何よりうれしかったのは先輩の「真心」。胸の奥がポッと温かくなり、力が湧いた▼緊急事態宣言の発令により、生活に制約が続く。感染症は多くの人命を奪い、社会に甚大な影響を及ぼしているが、かつてないのは、人との交流が制限されたこと。学校は休校、イベントは中止となり、友達と会うことさえ難しい。多くの人がストレスや孤独感を抱える▼学会でも会合や訪問は自粛だが、電話やメール等による激励は世界各地で続く。青年部を中心にオンラインによる会議や研さんも。「励まし」は工夫すれば、どんな形でもできる▼社会起業家の駒崎弘樹氏は「国家でも個人でもない中間団体」としての創価学会に注目し、「歴史上まれにみる有事である今こそ、その力をいかんなく発揮してほしい」と期待する。人と人の絆が重要性を増している。真心の言葉で、友の心に希望を届けていこう。(駿)


◎1976年(昭和51年)5月5日、池田名誉会長は関西の地で行われた未来部の勤行会に出席。席上、この日を「創価学会後継者の日」とすることを発売し、若き友に6項目の指針を贈った。
以来、37星霜。
本年の「5・5」を記念して、名誉会長は未来部の指針に「親孝行しよう」を加えた。
未来部7つの指針
?健康でいこう
?本を読もう
?常識を忘れないでいこう
?決して焦らないでいこう
?友人をたくさんつくろう
?まず自らが福運をつけよう
?親孝行しよう
−2013年4月30日付聖教新聞より−

◎心労も重なってナポレオンの病状は進行し、スペイン立憲革命やギリシャ独立戦争で欧州全体が動揺する中、1821年5月5日に死去した。彼の遺体は遺言により解剖されて胃に潰瘍と癌が見つかり、死因としては公式には胃癌と発表されたが、ヒ素による暗殺の可能性も指摘された。
その遺体は1840年にフランスに返還され、現在はパリのオテル・デ・ザンヴァリッド(廃兵院)に葬られている。最期の言葉は「フランス、陸軍、陸軍総帥、ジョゼフィーヌ…」だった。

◎イヴァン・コンスタンチノヴィチ・アイヴァゾフスキー
(ロシア語: Иван Константинович Айвазовский, 1817年7月29日 - 1900年5月5日)
ウクライナ生まれの帝政ロシアの画家。

◎1912年ストックホルムオリンピック(1912ねんストックホルムオリンピック)は、1912年(明治45年)5月5日から7月22日までスウェーデンのストックホルムで行われたオリンピック競技大会。

この大会で日本がアジアの国で初めてオリンピックに参加した。共に陸上競技で短距離の三島弥彦とマラソンの金栗四三の2名が出場したが、三島は400メートルの準決勝で棄権、金栗も10000mを棄権してマラソンに出場、54年8か月6日5時間32分20秒3で世界一遅いマラソン記録を残している(経緯は後述)。また、このマラソンでは、日本と同じくオリンピック初参加だったポルトガルのフランシスコ・ラザロが走行中に倒れて翌日に死亡し、オリンピック競技による初の死亡事故となった。このほか、エジプト、セルビア、アイスランドもオリンピック初参加となった。


【一年前】
夕飯時の夫婦の会話??
妻「やっぱり男は職場の人間関係のストレスが一番大きいごたるね」
私「10年前、例の二人がやめてから人間関係のストレスは一切なくなった」
「よー我慢したね」
「………でもそのお陰でだいぶ人間革命させて貰った」
「人間革命したあ?!!?」?
「いや、しとらん」
「びっくりした、人間革命したて言うたけん」
?



◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

開目抄 

第12章 一仏二言・難信の相 0191.01〜0192.07

講義

法華経の二乗作仏について

 一代聖教の中において、法華経のみが一念三千を秘蔵するゆえんを明かすために、この章では二乗作仏が法華経に限ることを示されている。すなわち、爾前の諸経においては、声聞・縁覚の成仏をゆるさず、また、それに似た言説があるにしても、劫・国・名号が明かされていないから架空の論議にひとしい。しかるに、法華経にはいってはじめて、まず方便品の開三顕一・開示悟入の四仏知見、仏の一大事の因縁を聞いて、まず上根の舎利弗が作仏する。いわゆる説法周である。
 つづいて中根の迦葉・須菩提・迦栴延等は長者窮子等の喩説を聞いて開悟し、授記品で記別を受ける、これが譬説周である。さらに下根の富楼那・阿難・羅睺羅・等は「仏が宿世の因縁、吾れ今当に説くべし汝等善く聴け」と、化城喩品で三千塵点劫の結縁を説くことによって悟るのである。富楼那および1200百弟子品で阿難および学無学の2000人は人記品で、それぞれ授記する。この下根の声聞を因縁周といい、三周の声聞の得道が終わるのである。


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