Contents
RSS 2.0

ブログ blog page

2020.4.30-3

2020年04月30日 (木) 00:14
2020.4.30-

◎寸鉄
妙法を唱える人は全て変
毒為薬される―戸田先生
唱題こそが勝利の原動力

◎名字の言
江戸時代の俳人・与謝蕪村が詠んでいる。「むかしむかししきりにおもふ慈母の恩/慈母の懐袍別に春あり」(春風馬堤曲)。遠い昔に抱かれた母の懐には、春のぬくもりがあった。その記憶は薄れることがない、と。子を思う母の心、母を慕う子の心。親子の絆の麗しさに、今も昔もない

▼75年前、生後7カ月の時に広島で被爆し、「語り部」の活動をしてきた壮年がいる。重い後遺症に負けず、生き抜いてきた陰には、優しい母の支えがあった

▼幼少期、原爆病院に入院した。同じ病室の人が次々と亡くなっていく。怖くて泣いていると、母が抱き締めてくれた。「大丈夫、母ちゃんが原爆病を退治しちゃる」「お前は母ちゃんの宝物なんじゃけえね」。不思議だった。母に抱かれると、うそのように不安が消えた

▼「学会活動は一番の平和の道」が口癖で、101歳で亡くなる直前まで友を励まし続けた母。あの笑顔、あの声のぬくもりが忘れられない。壮年は語る。「わしはあの母ちゃんの息子。原爆にも負けんかった。どんな試練も乗り越えて、平和に尽くし抜いてみせます」

▼母の恩を思えば不屈の闘志が湧く。強くなれる。巡り来る5月3日は「創価学会母の日」。全ての広布の母に感謝をささげつつ、平和創造への決意を新たにしたい。(誠)


◎退位の礼(たいいのれい)または退位礼(たいいれい)は、第125代天皇明仁(現:上皇)の退位に伴って行われた国事行為たる皇室儀礼。

かつて平安時代末期から鎌倉時代にかけて、天皇が退位して上皇(太上天皇の略称)となり、実質的な権力を以て院政を敷く「院政期」が存在した。しかし、江戸時代の光格天皇の退位(仁孝天皇への譲位)を最後に天皇の退位は2019年まで途絶えた。よって、天皇の退位に伴う儀式が行われるのは、光格天皇の「譲国の儀(じょうこくのぎ)」が行われた1817年(文化14年)以来、202年ぶりのことである。

◎ルイジアナ買収(ルイジアナばいしゅう、Louisiana Purchase)、またはルイジアナ売却(ルイジアナばいきゃく、Vente de la Louisiane)は、1803年にアメリカがフランスから210万km2を超える領地を1500万ドル(現金1125万ドル + 当時の借入金375万ドルを帳消し)で買収した出来事である。

資金はオランダのホープ商会とイギリスのベアリング家がファイナンスしている。つまり米国債で支払われたため、両家が割り引いて現金化した。両家とフランスの関係はナポレオン戦争終結後も続き、1817年に両家は年利8.13%から9.52%でフランス国債を引受けている。

◎フランス領ルイジアナ(フランスりょうルイジアナ、仏: La Louisiane、英: Louisiana)は、北アメリカ大陸のフランス植民地・ヌーベルフランスの一管轄地域の名前である。17世紀から18世紀にかけての名称であり、この地方を探検したフランス人の探検家ロベール=カブリエ・ド・ラ・サールによって、フランス国王ルイ14世に因んでルイジアナと名づけられた。元々、その領域はミシシッピ川流域のほとんどを含んでおり、南北は五大湖からメキシコ湾まで、東西はアパラチア山脈からロッキー山脈まで広大に広がっていた。管理上は、アーカンザス川から北のアッパー・ルイジアナ(フランス語:Haute-Louisiane)とローワー・ルイジアナ(フランス語:Basse-Louisiane)に分かれていた。現代のアメリカ合衆国ルイジアナ州は、フランス領ルイジアナのほんの一部に過ぎないが、これはこの歴史的な地域の名前を貰ったものである。


◎鴨緑江会戦(おうりょくこうかいせん)は、日露戦争において日本陸軍第一軍が鴨緑江を渡河して満州へ向かう途中で、これを阻止せんと待機していたロシア陸軍との間で起こった一連の戦い。鴨緑江渡河作戦(おうりょくこうとかさくせん)とも言われる。

◎ベトナム戦争を巡って世界各国で大規模な反戦運動が発生し、社会に大きな影響を与えた。1973年のパリ協定を経てリチャード・ニクソン大統領は派遣したアメリカ軍を撤退させた。その後も北ベトナム・南ベトナム解放民族戦線と南ベトナムとの戦闘は続き、1975年4月30日のサイゴン陥落によってベトナム戦争は終戦した。


【一年前】
◎朝
妻「今朝は寒暖の差の激しか」
私「夫婦の寒暖の差はそげんないかな」
「もう過ぎた。この年で夫婦喧嘩しよったら恥ずかしか」
「そういえば夫婦生活しよった時が一番夫婦喧嘩もしよったね」
「忘れた」
?



◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

開目抄 

第12章 一仏二言・難信の相 0191.01〜0192.07

本文

 法華経の現文を拝見するに舎利弗は華光如来・迦葉は光明如来・須菩提は名相如来・迦旃延は閻浮那提金光如来・目連は多摩羅跋栴檀香仏・富楼那は法明如来・阿難は山海慧自在通王仏・羅喉羅は蹈七宝華如来・五百七百は普明如来・学無学二千人は宝相如来・摩訶波闍波提比丘尼・耶輸多羅比丘尼等は一切衆生喜見如来・具足千万光相如来等なり、此等の人人は法華経を拝見したてまつるには尊きやうなれども爾前の経経を披見の時はけをさむる事どもをほし、其の故は仏世尊は実語の人なり故に聖人・大人と号す、外典・外道の中の賢人・聖人・天仙なんど申すは実語につけたる名なるべし此等の人人に勝れて第一なる故に世尊をば大人とは・申すぞかし、此の大人「唯以一大事因縁故・出現於世」となのらせ給いて「未だ真実を顕さず・世尊は法久しうして後・要ず当に真実を説くべし・正直に方便を捨て」等云云、多宝仏・証明を加え分身・舌を出す等は舎利弗が未来の華光如来・迦葉が光明如来等の説をば誰の人か疑網をなすべき。


トラックバック

トラックバックURI:

コメント

名前: 

ホームページ:

コメント:

画像認証: