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2020.4.21-3

2020年04月21日 (火) 00:28
2020.4.21-

【寸鉄】
会長の著作には読む人を
鼓舞する魅力が―博士。
人生の確固たる羅針盤と
     ◇
本紙創刊記念日。全読者、
無冠の友に感謝。真実と
希望送る紙面作りを益々
     ◇
東西創価中高で入学式。
英知こそ民衆を守る光!
この日忘れず学び鍛えよ
     ◇
どう人との接触減らすか
―一人一人の意識が鍵。
全員が拡大対策の当事者
     ◇
消毒液・マスク等の「送り
つけ商法」多発。届いても
慌てず相談電話188へ



◎名字の言 学会が行っている図書贈呈の淵源
東京・大田区森ケ崎(当時)に戦後、4人の青年が蔵書を持ち寄り、草水文庫という図書室ができた。青年たちはこの文庫を、公共の図書館にしたいという夢を持っていた。やがて文庫には、近隣の子どもたちが集まるようになった▼設置から2年8カ月後、草水文庫は小学校の図書館に。校長は朝礼で、「この町の、この学校の誇るべきものです」と語った。町の、学校の誇りである図書館は、4人の青年の尽力から始まった。その一人が池田先生であった(『評伝 戸田城聖?』第三文明社)▼学会の図書贈呈は、1954年(昭和29年)、戸田先生が故郷・厚田の小・中学校へ贈ったことが淵源である。この時、図書の手配を進めたのは池田先生だ。書籍を収めた本棚は「戸田文庫」と命名され、子どもたちに親しまれた▼池田先生は若き日から、本をわが子のように大切にしてきた。戦時中には、防空壕に入れ、空襲から守った。本は命であり、生きる糧だった。先生は語っている。「活字文化こそ『精神の泉』である。『社会の光』である」▼世界が不安に覆われる今、文字・活字が果たす役割は、ますます大きくなっている。冷静に正確に事実を伝えつつ、勇気の言葉、希望のメッセージを人々の心に届ける使命を、本紙は果たしていきたい。(芯)

◎民放の日
日本民間放送連盟(民放連)が1968年に「放送広告の日」として制定。1993年に「民放の日」に改称した。

◎天正19年(1591年)、利休は突然秀吉の逆鱗に触れ、堺に蟄居を命じられる。前田利家や、利休七哲のうち古田織部、細川忠興ら大名である弟子たちが奔走したが助命は適わず、京都に呼び戻された利休は聚楽屋敷内で切腹を命じられる。享年70[注釈 1] 。切腹に際しては、弟子の大名たちが利休奪還を図るおそれがあることから、秀吉の命令を受けた上杉景勝の軍勢が屋敷を取り囲んだと伝えられる。

◎マックス・ヴェーバー(Max Weber、1864年4月21日 - 1920年6月14日[1])は、ドイツの政治学者・社会学者・経済学者である。マックス・ウェーバーと表記されることもある(正式な名前はカール・エーミル・マクスィミーリアン・ヴェーバー (Karl Emil Maximilian Weber)。マックスはマクスィミーリアンの省略形である)。同じく社会学者・経済学者のアルフレート・ヴェーバーの兄である。

◎初代ケインズ男爵、ジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes、1st Baron Keynes、1883年6月5日 - 1946年4月21日)は、イギリスの経済学者、官僚、貴族。イングランド、ケンブリッジ出身。20世紀における最重要人物の一人であり、経済学者の代表的存在である。有効需要[1]に基いてケインズサーカスを率いてマクロ経済学を確立させた。また、戦後の外為体制(ブレトン・ウッズ体制)をめぐりハリー・ホワイトと案を出し合った。



【一年前】
◎夜
妻は今日一日あった事、期日前の連れ出しを弾丸の如く、私に報告する???
猿渡家の親戚、友人、内部会員さん………
絶対に無理な人を、なんとか丸め込んで、期日前に連れていって、なおかつ喜んで貰う。
「ちょっと今から行きましょうか」
「それがですよ、ちょっとお願いのあっとですよ」
「ついでに来月から新聞をお願いできないでしょうか」
期日前行けない人は、当日、家族と共に投票を確約させる。?
壁を破る戦い?
「すごさッ?。………
俺はそういう対応は絶対しきらんばい」
??

「お陰で今日、小さいけど月次の新規が入った?」

妻「お風呂は?」
私「先に入ってよか」
「最近優しなったね」
「なんも悪いことコソコソしよらんよ」
「アハァ?」

【二年前】
◎1968年(昭和43年)は巨大なうねり
ちょうど50年前
(楊教授)
キング牧師暗殺
ケネディ暗殺
ベトナム戦争
パリ5月革命
キューバ「英雄的なゲリラの年」
チェコ事件
中国文化革命ピーク
日本「明治百年祭」

?日本国交回復提言? 50周年??

文革の“落とし子”である習近平個人への権力集中が再び実現
→中国は歴史から何も学んでいない

?中国には『歴史』はないようです?
「歴史認識」というけど、中国には、というよりも、『中国人には歴史がない』?
意外と多い在中国日本人の共通した認識?

◎「裸の王様」習近平?
アジアの中国離れ進む/石平

【三年前】
◎四川料理
にわとり?の血!
「……何とも言えない味……」?

豚?の脳ミソ!
「……変な味……何これ……(タレを付けたら)……わッ、これ美味しい!……何これ……一歩中国人に近づいたみたい」(笑)

ーーでもずっと食道に違和感?

◎北朝鮮のお店
「歌いっぱい、女いっぱいよ」
行きつけのお店のそばにあります。
今日は閉まっていて真っ暗でした。
やっぱり拉致されそうで怖いです。
「しばらく開かないよ…核ぶち込まれそうだから」
?


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

開目抄 

第九章 漢土に仏教伝来 0189.18〜0190.07

現代語訳

 外道が仏教の義を盗み入れたるがごとく、仏教内の各宗派も、これと同様の状態になった。後漢の永平十年に漢土へ仏法が渡り、対論のすえ外典が破れて内典が立ち、仏法が流布した。その後、各宗派がつぎつぎと立てられ揚子江の南に三派・北に七派と乱立して、各宗派ともに自宗に執着し、争論がまちまちで仏教内が乱れたが、陳隋の時代に天台大師が出現して、異執をことごとく打ち破り、法華真実と立てたので、仏法はふたたび一切衆生を救うことができた。天台以後に、法相宗と真言宗があらたにインドより伝えられ、また華厳宗が立てられた。これらの宗の中に法相宗は、草木成仏や自受用の有為・無為等、教義の全般わたって天台宗に反対する法門を立てて水火のごとく、あいいれることができない宗派である。しかれども玄奘三蔵も慈恩大師も、委細に天台の御訳を見てからは、自宗の邪義であることに気がついたのか、自宗をば捨てないけれどもその心は天台に帰伏したものと見える。

 華厳宗と真言宗とは、その依経が権経であり権宗である、しかるに真言の善無畏三蔵・金剛智三蔵は、天台の一念三千の義を盗み取って自宗の肝心とし、その上に印と真言とを加えて、法華経より大日経は勝れていると立てた。そのいわれを知らない真言の学者等は、インドより、大日経に一念三千の法門があったのだと思っている。また華厳宗は澄観の時に華厳経の「心は工なる画師のごとし」の文に、 天台の一念三千の法門を盗み入れた。人々はこれを知らないで、澄観のいうことを正しいと信じている。



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