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2020.4.19-2

2020年04月19日 (日) 00:31
2020.4.19-

◎経済は「遊び」 自粛を糧に(中村・日経編集委員)
不要不急とは………モノ・サービスの大半は不要不急で、逆に医療、交通、食品など必需品の方が限られてくる
ファッション 10兆円
外食産業 25
百貨店 6
商用車を除く自動車 9
カー用品やアフターサービスを入れるとさらに膨れる。
家電 7
食品  20

最大の産業が余暇。
2018年で約72兆円
約300兆円の個人消費の約4分の1

経済が成熟化すると、生活必需品や社会インフラ費用の割合は低下する一方、不要不急の消費の比率は高まる。誤解を恐れずに言うと、経済はほぼ「遊び」でできているのだ。ホモ・サピエンスはホモ・エコノミクス(経済人)であり、ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)でもある。

「暇と退屈の倫理学」(國分功一郎氏著)
人類が遊動生活から定住生活に移行するには3つの課題
………ごみ捨て、トイレ、そして退屈の回避。
楽しみがないと人は共同体の秩序を守れない。
だからこそ高度な芸術や工芸品を発達させた。

アパレル最大手のオンワードホールディングス
4月中旬に700店の追加閉店 ………
「飲みニケーション」も成り立たない。

大がかりな販促と集客、
「足で稼ぐ」大量の営業スタッフ
すでに壁にぶつかっていた………
「営業はいらない」

「離れていてもつながることが重要」
顧客と直接ネットで結びつく
「D2C(ダイレクト・ツー・コンシューマー)」ブランド。
食品や化粧品、衣料品まで広がり、独自の社会的使命と世界観、くせになる顧客体験を武器に消費市場を広げている。
社会不安が強まる中、個人に強いメッセージを投げかける企業に支持が集まる。


◎「30万円撤回」与党明暗
批判の矛先は連立を組む公明にも向けられ、岸田氏に近い若手は会合後、「(与党合意をひっくり返した公明は)悪い前例を作った。連立維持に禍根を残す」と言い放った。
(西日本)

☆岸田の周りがこういう連中とは??まるで韓国の政治家みたい?30万円がなぜ不評だったのか、そこに気が回らず、禍根を残したのは岸田派一派??
総裁レースから完全に外れたね???

☆総裁は石破でも岸田でもない奴が選ばれないと?
昭和32年生………石破、岸田、野田………恥ずかしい??

岸田派若手とは、福岡3区の議員のようだ。
苦労知らずの仮面をかぶったボンボン?
もし政経セミナー等に来賓で来ていたら、
「お前は帰れ??」

☆夕飯時
妻「でけん? そらでけん?
今まで散々迷惑かけてきたでしょうが
………………圏長が来て
………………副会長まで来て
………………東京から飛んで来られて??
………………次は」
( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
「よー私は連れ添って来たよ?」                                                                    
◎ドンキホーテ後編上………約6年ぶりに再開?
ドンキホーテ前編下
2014年08月15日 (金) 20:46
☆なかなか面白い??
3冊同時平行

「笑いは、厳格至上主義のスパルタ国においてさえ彫り物にして称え、………」 

「著者が癒さんとする病人は、悪習を質す有益な成分を、それとは知らず、旨い、美味しい、と称えて飲むのである。それゆえ、消化不良やむかつきもない。叱られているのに機嫌が良くなるのである」

やむなく、年寄りで、退役軍人で、身分は郷士で、貧しい
………
「その人をイスパニアは国庫で養って、まともな暮らしが立つようにしてやれないか」
………
「貧しさをバネに書いているなら、暮らしが立たず、貧しいままでいるほうがいい、そのままでいて、ずうっと、傑作を書き続けて、世界を豊かにしてくれるといい」

褒めているのか、諂(へつら)っているのかがはっきりしない境界線にあるのではないかと見る向きもありそうであるが、……… 諂(へつら) いは、お愛想にしろ口先きの出任せにしろ、報いを期待していることでは異口同音、とでも申しておこう。
?
                                                     
【寸鉄】
「かかる法門にちぎり有
る人なれば・たのもしと」
御書。世界の同志と前進
     ◇
大学会の日。人生は最後
に勝ってこそ。今いる場
所で青春の誓い果たさん
     ◇
接触を8割減らせば2週
間程で新規感染者が抑制
と。できる事、全てに挑戦
     ◇
テレワークで一日の歩数
30%減。健康に影響の恐
れ。3密避けて散歩など
     ◇
公明の要請で一人10万円
の現金給付へ。国民の為、
更に死力尽くし頑張れ!

◎名字の言
池田先生
「人生において、何がすばらしいか。最高の哲学を知ること以上のすばらしさはない。強さはない」


◎平治の乱(へいじのらん)は、平安時代末期の平治元年12月9日(1160年1月19日)、院近臣らの対立により発生した政変である。

永暦元年(1160年)2月9日、頼朝は近江国で捕えられ京の六波羅へ送られ、死刑を当然視されるが、清盛の継母の池禅尼の嘆願などにより死一等を減ぜられる。なお、助命嘆願には後白河院、上西門院の意向が働いていたとの説もある[10]。また、平治の乱の本質は院近臣同士の争いであり義朝は信頼に従属する者の一人に過ぎず、その子供達の処分が軽度であったのも当然とする見解も示されている。3月11日に伊豆国へと流された。


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