Contents
RSS 2.0

ブログ blog page

2020.4.10-2

2020年04月10日 (金) 00:26
2020.4.10-

【寸鉄】
祈りの姿勢は「渇して水
をしたうがごとく」御書。
一念を定め今日も勝つ!
     ◇
青年部ステイホーム運動
広がる。不要不急の外出
自粛呼び掛け。連帯更に
     ◇
近距離の会話避ける人は
3割止まりと。全員が当
事者。1〜2メートルの確保を
     ◇
誰もが「無症状感染者」の
可能性。自分も家族も友
人も―命守る努力を皆で
     ◇
春の新聞週間。無冠の友
と愛読者に大感謝。希望
と安心送る機関紙たらん

【名字の言】
政府の緊急事態宣言によって、新型コロナウイルス終息への戦いは新たな段階に入った。医療従事者をはじめ対策の最前線に立つ方々だけでなく、全ての人々が、自分を守り、家族を守り、社会を守る責任を自覚し、行動に移す時である▼その中で、新聞の果たす役割とは何か。速報性はSNSやテレビ等に比べるべくもないが、膨大な情報の中から必要かつ正確なものを整理して、分かりやすく伝えることであると考える▼加えて「人間の機関紙」を掲げる聖教新聞は、この危機と懸命に戦い、賢明に応戦する人々の声を伝えながら、勇気と希望の価値創造を続けたい。今後もテレビ電話等を活用した取材、在宅勤務を含むテレワークなど、感染防止対策を一層強化しつつ、「危機の時代」を生きるための糧として、識者の声、世界の同志からのリポート、体験、医療・生活情報などを提供していく▼東京・信濃町に世界聖教会館が落成して初めての創刊記念日(4月20日)を、間もなく迎える。池田先生による「聖教新聞 師弟凱歌の碑」は同会館の意義を「立正安国と世界広布の大言論城」と▼未曽有の人類的危機の今こそ私たちは、尊き配達員の「無冠の友」の皆さまと共に、世界の安穏と平和に貢献する使命を果たしていきたい。(芯)


◎モルヴィッツの戦い(モルヴィッツのたたかい、ドイツ語: Schlacht bei Mollwitz)は、オーストリア継承戦争初期の1741年4月10日にプロイセンとオーストリアとの間で行われた会戦である。プロイセン軍が勝利した。この戦いは本継承戦争で一番初めに実施された会戦であり、この戦いでプロイセンがオーストリアを破ったことで、プロイセンが列強の地位に上ったことを諸外国に印象付けた。

◎ビッグ・ベン(英: Big Ben)は、イギリスの首都ロンドンにあるウェストミンスター宮殿(英国国会議事堂)に付属する時計台の大時鐘の愛称。現在では、転じて時計台全体・大時計そのものの名称として使われている。

◎『大韓民国』という名称は、1919年4月10日開催の臨時議政院で決められた。『大韓』は、朝鮮史上最後の独立国家(当時)だった大韓帝国の国号に由来しており、政体を表す部分を『帝国』から共和制国家を意味する漢語の『民国』へと変更している。『大韓』の使用に対し、当初は呂運亨が「朝鮮亡国時の国号をあえて復活させることは無い」として反対していた。だが、一方で申錫雨が「『大韓』で滅んだのだから、『大韓』で(国を)興すべきである。(『大韓』は)日本に奪われた国号なのだから、必ず取り返さなければならない。」と主張し、意見が対立した。そして、最終的に臨時議政院参加者の多数が申錫雨の意見に賛同したため、臨時政府の名称は『大韓民国』になった[7]。

【一年間】
◎九州完勝?
大牟田では自民現職の田中秀子が落選したことを、内外みんな手を叩いて喜んでいます。
「あ〜よかったあ?」?
それにしても、早良区はトップ当選とはいえ、トップ(定数3)と次点の票差が2,500票。本当に激戦でした。
久留米も執念で押し上げました。


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

開目抄 

第七章 文底の真実を判ず 0189.01〜0189.07

つらつら御文を愚案するに、法華経方便品には十如実相に約して一念三千を説き、寿量品においては三妙合論して一念三千を明かしているのに対し、なぜ文底秘沈と称せられるか、また沈められている実体は何物ぞ。これこそ大聖人弘教の御本意であり、これを明らかに証得するならば、一代の聖教は鏡に懸けて曇りなく、三時弘教の次第は朗々として、しかも立宗700年の末代に生まれ合わせて、この正法を信ずるわれわれの任務もまたおのずから明らかになるべきである。
 しかして、この御文について、日寛上人は三重秘伝の旨を示され、「但」の字は一字であるが、三重に冠して、もって文底下種の真実を判ぜられたのである。いわく「久遠下種の名字の妙法は一代経の中には但法華経・法華経の中には但本門寿量品、本門寿量品の中には但文底に秘沈する故に一念三千文底秘沈と云うなり」と。
 すなわち「一念三千の法門は但法華経」として、爾前権教を簡ぶ権実相対・第一法門である。つぎに「但本門の寿量品」とは、迹門を簡ぶ本迹相対・第二法門である。つぎに「但文の底にしづめたり」とは、文上の脱益を簡ぶ種脱相対・第三法門である。この三重の明鏡に照らすとき、天台所立の第一法門たる根性の融不融および第二法門・化導の始終不始終は、ともに第一法門・権実相対に属し、天台の第三法門・師弟の遠近不遠近の相は、すなわち当家の第二法門・本迹相対に属するのである。ゆえに「但我が天台智者のみこれをいだけり」として、天台は一念三千を説くといえども、これを内に懐くのみにて、いまだ実義の顕揚がなかったことを示されている。



トラックバック

トラックバックURI:

コメント

名前: 

ホームページ:

コメント:

画像認証: