【寸鉄】
青年よ高く大いなる理想
に生きよ―恩師。未来開
く智慧は苦闘の中で発光
◇
逆境における仲間は苦難
を軽くする―学者。同盟
唱題等で共に励まし前進
◇
「ながら運転」罰則強化で
事故45%減。少しだけが
命取り。更に心引き締め
【名字の言】
“人生はマラソンのようだ”と言われますが、どう思いますか?――一般募集の質問に、詩人・谷川俊太郎さんが答えた。“人生は人生でしかないと思います”。単にゴールを目指すものではなく、走ること、それ自体なのだ、と(『星空の谷川俊太郎質問箱』ほぼ日)▼5年前、広島県福山市のある壮年部員は脳出血で高次脳機能障害に。医師から「記憶を失う」と告げられた。彼は治療を続けつつ、医師の承諾を得て学会活動に挑戦。激励に行く前には入念に準備し、話しながら要旨をノートに記した。会合では懸命にメモを取りつつ、人一倍、拍手を送った▼3人の子どもは口をそろえて「頑張り屋のパパ」と。やがて再就職を果たし、同志と共にうれし涙を流した。彼は誓う。「できないことは増えたが、私自身の“挑戦する心”を奪うことだけは絶対にできない!」▼釈尊の教団に須梨槃特という仏弟子がいた。物覚えが悪く、皆から軽蔑される彼に、釈尊は、ただ一つの偈(詩の形にした教え)を与えた。その一偈を覚えようと修行を貫いた彼は、優れた500人の弟子の一人として経典に記された(法華経・五百弟子受記品)▼人生の価値は進むスピードではなく、歩み続けたかどうかで決まる。戦いを止めないその姿に、人生勝利の輝きがある。(子)
◎物部 守屋(もののべ の もりや)は、古墳時代の大連(有力豪族)。物部尾輿の子。
生涯
物部氏は有力な軍事氏族である。物部氏は日本に伝来した仏教に対しては強硬な廃仏派で、崇仏派の蘇我氏と対立した。ただし、物部氏の本拠の渋川に寺の跡が残り、物部氏そのものは廃仏派ではなかったという説もある。
敏達天皇元年(572年)、敏達天皇の即位に伴い、守屋は大連に任じられた。
敏達天皇14年(585年)、病になった大臣・蘇我馬子は敏達天皇に奏上して仏法を信奉する許可を求めた。天皇はこれを許可したが、この頃から疫病が流行しだした。守屋と中臣勝海(中臣氏は神祇を祭る氏族)は蕃神(異国の神)を信奉したために疫病が起きたと奏上し、これの禁止を求めた。天皇は仏法を止めるよう詔した。守屋は自ら寺に赴き、胡床に座り、仏塔を破壊し、仏殿を焼き、仏像を海に投げ込ませ、馬子や司馬達等ら仏法信者を面罵した上で、達等の娘善信尼、およびその弟子の恵善尼・禅蔵尼ら3人の尼を捕らえ、衣を剥ぎとって全裸にして、海石榴市(つばいち、現在の奈良県桜井市)の駅舎へ連行し、群衆の目前で鞭打った。
◎1722年の復活祭(イースター)の夜、オランダ海軍提督のヤーコプ・ロッヘフェーンが、南太平洋上に浮かぶ小さな島を発見する。発見した日にちなみ島名が付けられたとされている。この島に上陸したロッヘフェーンは、1,000体を超えるモアイと、その前で火を焚き地に頭を着けて祈りを捧げる島民の姿を目の当たりにする。
◎四五天安門事件(しごてんあんもんじけん、英: the (first) Tiananmen (Square) Incident in 1976、中: 四五运?)とは、1976年4月5日に中華人民共和国の北京市にある天安門広場において、同年1月8日に死去した周恩来追悼の為にささげられた花輪が北京市当局に撤去されたことに激昂した民衆がデモ隊工人と衝突、政府に暴力的に鎮圧された事件、あるいは、この鎮圧に先立ってなされた学生や知識人らの民主化を求めるデモ活動を包括していう。1989年6月4日に起きた六四天安門事件(第二次天安門事件)と区別するため、第一次天安門事件ともいう。
◎1998年(平成10年)4月5日に供用が開始された。全長3,911 m、中央支間1,991 mで世界最長の吊り橋である。1998年(平成10年)の開業以来、「ギネス世界記録」に認定・掲載されている。建設費は約5,000億円。
【一年前】
◎勘違いが酷い!!
電話で選挙を依頼すると、当然のことではあるが、「公明党は大嫌い」に遭遇します。
私「これほどの勘違いはない」
妻「罪障を消して貰いよるとたい」
◎「どっくの縁がどっかの縁に」
素晴らしい?パクらせて頂きます。
ありがとうございます????
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開目抄
第六章 権実相対して判ず
講義
内外相対において、まず外道を破折し、ついで権実相対を示して法華経第一なるゆえんを説き示されている。禅宗・浄土宗・真言宗・華厳宗のごとき40余年の権教を依処とする宗派は、すでに天台大師に完全に破折され、日本においては、また伝教大師に破折され、日本国じゅう一人残らず伝教大師の法華経に帰依したのである。しかるに、世の衰微に乗じて、ふたたび仏教が混乱し、邪教が横行していたので、大聖人は権実相対を立てて破折されたが、大聖人の出世の御本懐は、三大秘法の建立にあって、けっして釈尊の法華経をひろめることはないのである。
このことは実に重大な事柄があって、世の人は日蓮大聖人が法華経を用いるがゆえに、釈迦の仏法の一部分であるがごとく考えている。これは仏教観の上にもっとも大きな誤りであって、人みな、これがために幸福になれないのである。開目抄には、この誤りを説かれた大教訓であって、釈尊は正法・像法の仏、大聖人様は末法の仏であらせられる。釈尊は法華経28品を出世の本懐として衆生を救い、日蓮大聖人は七文字の三大秘法の南無妙法蓮華経をもって出世の本懐とし、末法の苦悩の民衆を救わんとせられているのである。ゆえに二仏の資格、二仏の立ち場は根本的に相異しておって、大聖人の時代たる末法には、釈尊の仏法の利益は全然ない。それなのに、念仏・禅宗等の者が、去年の暦たる釈迦仏法に執着し、人を迷わすことは、宗教界の逆賊ともいうべきものであろう。