【名字の言】
島根県の山間部には「たたら」と呼ばれる日本古来の製鉄法が今も残る。燃え盛る炉で三日三晩、砂鉄を溶かし、「玉鋼」という鉄を造る。その質の高さは現代の技術でも再現は難しいとされる
▼一度、作業が始まれば、炉の中にある鉄の様子は分からない。だが、たたら師には、それを“見る”技があった。その日の砂鉄の手触り、炎の色、空気の流れ……。五感を研ぎ澄ませ、鉄に向き合うことから「誠実が美鋼を生む」といわれた
▼心を鍛錬する中で一流の技は磨かれる。同県のドクター部の壮年は山間地域で診療所を開いて28年。「たった一人で診察するのに大切なこと」を問うと「多くの医療技術を持つ以上に、謙虚であることです」との答えが。孤独、惰性、慢心――祈りを根本に自身の心と戦うからこそ、患者の何げない一言や表情から病状に気付けるという
▼人の見えない心を見抜く仏の力を「眼根清浄」という。神秘的な超能力などではない。衆生を救おうとする慈悲の一念が「智慧の眼」を開き、人々の悩みを見抜くことを可能にすると説く
▼御書に「鉄は炎打てば剣となる」(958ページ)と。鉄は高温の炎で熱し、何度も打つことで不純物が除かれる。人間も同様に、たゆまぬ精神闘争の中で、宝剣のごとき人格が輝き始める。(子)
◎3×9(さくら)=27の語呂合せと、七十二候のひとつ「桜始開」が重なる時期であることから。
日本の歴史や文化、風土と深くかかわってきた桜を通して、日本の自然や文化について関心を深める日。
◎アレッサンドロ・ヴァリニャーノ(ヴァリニャーニ、Alessandro Valignano / Valignani、1539年2月15日 - 1606年1月20日)は、安土桃山時代から江戸時代初期の日本を訪れたイエズス会員、カトリック教会の司祭。イエズス会東インド管区の巡察師として活躍し、天正遣欧少年使節派遣を計画・実施した。
◎江戸、旅立ち
元禄2年春 芭蕉は旅立ちの準備をすすめ、隅田川のほとりにあった芭蕉庵を引き払う。
「草の戸も 住み替はる代よぞ 雛の家」
3月27日 明け方、採荼庵さいとあんより舟に乗って出立し、千住大橋付近で船を下りて詠む。
矢立の初め
「行く春や 鳥啼なき魚の 目は泪」
◎吉田 松陰(よしだ しょういん)は、日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者・倒幕論者として知られる。私塾「松下村塾」で、のちの明治維新で重要な働きをする多くの若者に思想的影響を与えた。
◎第二次閉塞作戦は、3月27日未明に決行された。4隻の閉塞船を投入して実行されたが、またもやロシア軍に察知されて失敗した。この作戦においては、閉塞船「福井丸」を指揮した広瀬武夫少佐(のち中佐に特進)が戦死し、のちに軍神とされ崇められた。また、杉野孫七上等兵曹[2](没後、兵曹長[3])、信号兵曹、機関兵の計4名が戦死している[1]。
【一年前】
◎こじし座(Leo Minor)
探し方・見つけ方
春の夜空に、しし座と並ぶように描かれているのがこじし座です。
こじし座は面積が狭く、明るい星もないので見つけづらいかもしれませんが、しし座の頭部分と、おおぐま座にある北斗七星のひしゃく部分との間に位置しています。
一番明るい星でも3.8等の46番星(プラエキプア/Praecipua)ですが、その横に位置しているしし座は、レグルスとデネボラが輝いていて見つけやすい星座です。
また、ひしゃくの形をした、北斗七星も見つけやすいので、その間辺りに見当をつけて、上の星座図などを参考にして探してみてください。
【二年前】
◎妻と娘を新大牟田駅に迎えに
私「昨夜はミー(猫)の横に布団敷いて寝たら、ミーがビックリしていた」???
【三年前】
私の母親は今年85歳で要介護5でいつも目をつぶって寝てて息子ももう分かりませんが、この前うちの奥さんが娘を連れて行き、娘が「おばあちゃん!」と言ったらパッと目を開けたそうです。
もう少し大丈夫のようです。?
☆と言っていましたが、昨年逝ってしまいました。
?
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
開目抄 0186〜0237
第四章 外道の三徳 0187.08〜0188.05
また彼らが、天上界に生まれるということを最高の幸福と考えることは、ちょうど今日のキリスト教のようなものであって、阿弥陀仏の西方浄土に生まれるということによく似た低級なものである。キリスト教の昇天説を思えばキリスト教そのものが何か婆羅門につながりがあるように考えられてならない。しかるに、この婆羅門といえども、儒教の仏法が漢土に渡る序分であったように、インドの仏教の始まる序分である。その観点より、日本における日蓮宗内の邪義が弘まっていることは、正宗流布の前兆であり、キリスト教の世界的流布は正しき、真の仏法の世界的流布の前兆であると見るべきである。