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2020.3.23

2020年03月23日 (月) 00:21
2020.3.23

3月23(月)

??1274年(文永11年2月14日) -
日蓮大聖人が幕府に赦免され、佐渡国から鎌倉へ帰られる。

和暦(旧暦)    西暦
文永11年2月14日=1274年3月23日

53歳.
1274年 文永 11年
2月14日、幕府が佐渡流罪の赦免状を発する。
3月8日、赦免状が佐渡に到着。
同月14日、鎌倉に向けて出発。
同月26日、鎌倉に到着。
4月、平左衛門尉と会見、
蒙古襲来の時期を「今年は一定なり」と進言。
5月、鎌倉を出発し、身延へ入山する。
10月、元(旧名・蒙古)来襲。(文永の役)
立正安国論の他国侵逼難が的中した。

??1585年(天正13年2月22日) -
天正遣欧少年使節がローマ教皇グレゴリウス13世に公式謁見。

??1945年 -
第二次世界大戦: 米軍の沖縄上陸作戦開始に伴い、ひめゆり学徒隊に動員令が下る。

??世界気象デー(World Meteorological Day)
世界気象機関(WMO)が、発足10周年を記念して1960(昭和35)年に制定。国際デーの一つ。
                
                 
☆「外出は控えましょう」
ということでしたけど………
「まもなく上映終了」
ということで出掛けてきました。??
天神も博多駅も少し人が戻ってきている感じでした。

◎KBCシネマ
今までは座席自由だったけど、一つずつ空けての座席指定に。
割と観客は多かったです。

◎レ・ミゼラブル
2019|フランス|原題:Les miserables|104分
監督:ラジ・リ
出演:ダミアン・ボナール、アレクシス・マネンティ、ジェブリル・ゾンガ、他
第72回カンヌ国際映画祭で審査員賞受賞。

物語の舞台は、ヴィクトル・ユーゴーの同名小説「レ・ミゼラブル」の舞台にもなったパリ郊外の町モンフェルメイユ。現在では移民などの低所得層が多く暮らし、激しいデモや衝突が頻繁に起こる貧しい地域。そこでは出身地や宗教が複雑に絡み合い対立するグループが複数存在する。それがやがて事件に発展していくことに…。

メガホンを取ったのはフランスの新鋭ラジ・リ監督。モンフェルメイユで生まれ育ち、現在もそこで暮らす監督自身の体験した出来事をスタイリッシュな映像で描き切った本作は、圧倒的な緊迫感を放っており、2019年のカンヌ国際映画祭では「コンペ最大のショック!」という称賛とともにセンセーションを巻き起こした。

☆本物の「レ・ミゼラブル」の後半に似せたような作品でした。最後のシーン火炎瓶を投げようとして思い留まる少年は、フランス革命でピストルを空に向ける少年と重なっていました。現在のフランスの抱える問題を現代版「レ・ミゼラブル」で表現した映画。


◎イタリア感染拡大地域
ロンバルディア州とペネト州

◎仏教説話「志を貫いた将軍」
「彼の蘇夫が胡国に十九年・雪を食うて世をわたりし」
蘇 武(そ ぶ、紀元前140年頃? - 紀元前60年)は、前漢時代の人。

天漢元年(紀元前100年)、蘇武は中郎将として匈奴への使者に任じられる。副使は張勝で、常恵らが付き従った。そのころ、単于の下にいる漢の降将虞常が、匈奴の緱王と共謀して、同じく匈奴に降って重用されていた衛律を殺し、単于の母を脅迫して漢に帰ろうと画策した。両名は張勝にこの話を持ちかけ、張勝はこれを許し援助した。しかし虞常・緱王は失敗して単于がこの件を知り、蘇武を尋問しようとした。蘇武は自決を図ったが衛律の手当てによって一命を取り留めた。単于は彼を脅して匈奴に帰順させようとしたが、蘇武が拒んだため、常恵らと共に抑留された。

彼は穴倉に飲食物も無く捨て置かれたが、雪を齧り節の飾りについている毛を食べて生き長らえた。やがて、蘇武は北海(現在のバイカル湖)のほとりに移されたが、匈奴から「オスの羊が乳を出したら帰してやる」と言われてしまう。彼はそこで、野鼠の穴を掘り、草の実を食うなどの辛酸をなめたが、単于の弟に気に入られて援助を受けて生き長らえ、匈奴に屈することがなかった。

始元6年(紀元前81年)に彼は漢に帰還し、典属国を拝命した。母は死んでおり、妻は既に他の者に嫁いでいた。後に、蘇武の子の蘇元が反乱を企んだ上官桀らに連座して処刑され、上官桀や桑弘羊と仲が良かった蘇武も逮捕されそうになったが、霍光がやめさせ、免官だけで済まされた。

宣帝擁立に関与し、関内侯の位を賜り、張安世の薦めにより右曹・典属国に返り咲いた。神爵2年(紀元前60年)、蘇武は80歳余りの高齢で亡くなった。

◎麒麟がくる第10話「ひとりぼっちの若君」
「あぶり餅」が出てきましたね?
三年前に息子と奥さんと私の三人で行きました。
創業は平安時代、長保2年(西暦1000年)。
それから創業1020年?
京都市北区紫野にある今宮神社のその脇の参道にあるあぶり餅屋「一文字和助(いちもんじわすけ)」。


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