◎寸鉄
比の国立大から名誉学術
称号。会長の社会貢献は
模範と。世界が仰ぐ英知
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御書「いまだこりず候」。
この精神で学会は発展!
今できる事に全力を傾け
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確定申告が4月16日まで
延長―肺炎踏まえ公明が
提案。庶民守る対策益々
◎古来中国では、上巳の日に川で身を清め不浄を祓う習慣があった。これが平安時代に日本に取り入れられた。後に、紙で小さな人の形(形代)を作ってそれにけがれを移し、川や海に流して不浄を祓うようになった。この風習は、現在でも「流し雛」として残っている。
◎上巳の日には、人形に穢れを移して川や海に流していたが、その人形が次第に精巧なものになって流さずに飾っておくようになり、雛祭りとして発展して行った。
雛祭りは始めは宮中や貴族の間で行われていたが、やがて武家社会でも行われるようになり、江戸時代には庶民の行事となった。
元々は、5月5日の端午の節句とともに男女の別なく行われていたが、江戸時代ごろから、豪華な雛人形は女の子に属するものとされ、端午の節句は菖蒲の節句とも言われることから、「尚武」にかけて男の子の節句とされるようになった。
◎耳の日
また、三重苦のヘレン・ケラーにサリバン女史が指導を始めた日であり、電話の発明者グラハム・ベルの誕生日でもある。
◎アロー戦争(アローせんそう、英語: Arrow War)は、1856年から1860年にかけて、清とイギリス・フランス連合軍との間で起こった戦争である。最終的に北京条約で終結した。戦争の理由の一つであった、中国人による多くの外国人排斥事件のうち、もっとも象徴的な出来事がアロー号事件であったため、日本ではアロー戦争と呼称される場合が多い。また、この戦争がアヘン戦争に続いて起きたために、第二次アヘン戦争(Second Opium War)と呼ぶこともある。
◎サン・ステファノ条約(サン・ステファノじょうやく)は、1878年の露土戦争の講和条約。イスタンブール西方の村・サン・ステファノ(英語版)において1878年3月3日にロシア帝国とオスマン帝国のあいだで結ばれた。
この条約によって、オスマン帝国は多額の賠償金とともに、
アルメニア、ドブロジャ、ベッサラビア、およびアナトリア東部バトゥミ、カルス、アルダハン、バヤジト地方(トルコ語版)のロシアへの割譲
ルーマニア、セルビア、モンテネグロの独立の承認
ブルガリアへの自治権の付与(マケドニアを含む大ブルガリア公国が成立)
ボスニア・ヘルツェゴヴィナへの自治権付与
などを課せられた。しかし、ヨーロッパ南東部におけるロシアの影響力の拡大、特にブルガリアの領土がエーゲ海に接していることによりロシア海軍がエーゲ海北部に拠点を置くことを恐れたイギリス、オーストリアの干渉により、1878年6月のベルリン会議によって、ブルガリア国境が縮小されてマケドニアはオスマン帝国に復し、ロシアはバヤジト地方などの放棄を余儀なくされた。このことが、後の大ブルガリア主義に発展していくことになる。
【二年前】
◎浮気もせずに27年目?
「あ〜、階段のきっつぁ(きつい)?
もう腰も曲がってのう……
いつもぎりぎりばってん
今年は早めに来たばんも?」
「わ〜、遠いところ………
わざわざいつも………
ありがとうございます」
「わ〜所長さん、
よか男になってぇ?
余所に変わろうと思うたばってん、
やっぱりあなっつぁん(あなた)に
持って来たばんも」
「浮気もされずに……(爆)???
もう27年目ですよ?
ありがとうございます」
「えらい若うしとるやんね?」
「いえいえ」?
独立開業前から27年目?
浮気もせず柳川沖端の海苔屋さん4件、
持って来られます。
本当に有り難いです??
【三年前】
確定申告がいよいよ佳境に入っています。本当に3月15日までに終わるのか!という感じです。しかし、かつては朝まで徹夜していた頃に比べれば本当に楽になり、職員に感謝です。
残業後に焼鳥屋へ。
もうつきあい35年になるマスター
「猿ちゃんがジャガーなんかに乗っているうちは、まだ人間的に未熟ということばい!」
「そうですか……」
「軽はちょっといいのなると200万円くらいするやろ」
「私のは150万円です!」
「中身のある人は軽に乗っても光るとばい…ジャガーなんかは見かけはよかばってん……俺ば見てんね、自転車で光っとろが」
「信心しとる私が見かけにこだわり、信心してないマスターが人間として光る!素晴らしいですね♪」(笑)
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開目抄 0186〜0237
確かに、封建時代においては、主・師・親の意義が偏狭に評価されていた。そのあまり、自我が軽視され、抑圧されて、幾多の弊害を及ぼしていった。「主君のためには命をも」という忠君思想、「師匠より三尺さがって影も踏まず」という師弟論、「親の言葉は絶対に聞かねばならない」という孝行思想、これらはいずれも枝葉にとらわれて、根幹たる自己を無視した本末顛倒の考え方であった。そして、「親に孝ならんとすれば忠ならず、君に忠ならんとすれば孝ならず」と悩んだ平重盛や、父の言を聞けばゾウリをはけといい、母の言を聞けばゲタをはけという孝行物語のような、こっけいでさえある悲劇が生じたのである。
われわれが、今、主師親の三徳を論ずるのは、それらの如き不道理極まるものでは決してない。あくまでも自己の確立を中心としての人生活動である。即ち、その最高の自己完成ともいうべき一生成仏を根本となしての、最も正しい未来、永遠に変わらざる、人生の本質論を主張しているのである。