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2020.2.29-2

2020年02月29日 (土) 01:22
2020.2.29-

◎寸鉄
一日一日、進歩する人が
青年である―牧口先生。
今日も価値創造の一歩を
     ◇
他者との「つながり」が生
きる力に―識者。心と心
結ぶ創価哲学は希望の光



◎なお、国によっては2月24日と25日の間に閏日「2月24日」を置き、以降の日を1日づつずらすとしている。これは、紀元前713年にローマ暦に閏日が導入された時以来の伝統であるが、日本の暦には採用されなかった。

英語では閏日のことをleap day(跳躍の日)と言う。これは、普段の年はその前年の同じ日より1つだけ曜日がずれるが、閏年の翌年は2つずれる、つまり、曜日を1つ飛び越える(leap)からである。

かつてイギリスでは、4年間のうちでこの日だけ女性から男性へのプロポーズが伝統的に公認され、男性はそれを断わることはできないとされていた。

◎琉球政府(りゅうきゅうせいふ、英: Government of the Ryukyu Islands)は、1952年(昭和27年)から1972年(昭和47年)まで、沖縄本島を中心に存在した統治機構の名称である。1972年(昭和47年)に沖縄県が日本に返還された際に消滅し、沖縄県や沖縄総合事務局(国の出先機関)などに移管された。

◎ソウルの春(ソウルのはる)とは、1979年10月26日、大韓民国(韓国)の朴正煕大統領が暗殺された10・26事件の直後から翌1980年5月17日の非常戒厳令拡大措置までの民主化ムードが漂った政治的過度期を指し、チェコスロバキアの「プラハの春」に由来する言葉である。

しかし、全斗煥の粛軍クーデターと光州事件の武力鎮圧で挫折し、完全な民主化は1987年を待たなければならなかった。

文民出身の崔圭夏大統領が1980年2月28日に発表した公民権回復措置によって、それまで政治活動を規制されていた金大中や尹潽善元大統領など反体制派人物の政治的自由が翌日2月29日に回復し、新民党総裁金泳三、在野指導者で1971年大統領選挙における新民党候補者であった金大中、民主共和党総裁金鍾泌の所謂「三金」が、次期大統領に名乗りを上げ政治活動が本格化、学生運動や労働運動も活発化した。ソウル市内の高層ビルで青瓦台(大統領府)に向いた窓のブラインドが一斉に撤去された。


【一年前】
◎おはよう????
妻「顔のすきーっとしてえ?
顔艶の良かこと」
私「そうかな。
夢でちょっとしたことで、
“ええくそ?”と当たりよった。
奥さんにも恵にも当たりよった」
娘「私はいいけど、お母さん出て行かすよ」

私「仏間のライトのリモコン、
なかなか付かんから“ええくそ”?」
妻「あ、それは電池の切れとると」

「まんぷくの主人公の“ええくそ”も乗り移っている」
「お父さんの”ええくそ“はまだいい。
“ちょっとー”が一番でけんもん」
?

【二年前】
◎朝食時
私「今日は市役所の後、遅くなるから焼鳥味で食べて帰る」
妻「もう聞いた。同じことを2回も3回も繰り返すようになったよ………」
「一回言ったよ」
「一回で十分」
?

【三年前】
確定申告は進捗率が今ちょうど50%!

今夜の壮年部の御書学習会、8時半ちょうどに駆け付けましたけど、もう終わっていて支部拠点は真っ暗でした。
妻「さっき帰らしたよ」

自宅の方では婦人部が何人か寄ってありました。
私「女子部かと思ったよ」
妻「残念でした」
?

女子部は朝10時〜夜8時まで交替で10時間唱題会をしていたそうです。
妻「恵(娘)は疲れてもう寝ている」

我が家では今日は、女子部、壮年部、婦人部に拠点として使って頂きました。

本当にありがたいことです。

「かかる濁世には互につねに・いゐあわせてひまもなく後世ねがわせ給い候へ」



◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

開目抄 0186〜0237

だが、法華経に本迹二門があり、このうち法華経迹門の教えは、まだ釈尊はインドに生まれて30歳にして始めて正覚を成じた仏であって、その三徳も今世限りのきわめて浅いものである。五百塵点劫の久遠より常住の三徳を明かされたのは、本門寿量品である。すなわち本門の主徳は「我此土安穏」の文にあり、師徳は「常説法教化」、親の徳は「我亦為世父」の文にはっきりと宣言されたのである。この本迹の勝劣はまことに一目瞭然である。教行証御書に「爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず」(1282-03)とあるがごとくである。
 しかしながら末法今時においては、ただ文底下種の本仏日蓮大聖人のみが一切衆生を救済する三徳具備の仏である。本門の釈尊といえども、本末有善の衆生には三徳の縁がなく、衆生を救う力もないのである。曾谷入道許御書にいわく「正像二千余年には猶下種の者有り例せば在世四十余年の如し根機を知らずんば左右無く実経を与う可からず、今は既に末法に入つて在世の結縁の者は漸漸に衰微して権実の二機皆悉く尽きぬ」(1027−12)と。
 されば、当抄の終わりに「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」(0237−06)とおおせられたのは、まさしく、日蓮大聖人こそ、末法の御本仏であるとの宣言なることを知るべきである。


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