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2020.2.10-2

2020年02月10日 (月) 00:35
2020.2.10-

◎寸鉄
何のために―この目的観
で人生の価値は決まる。
勇み自他共の幸福のため
     ◇
たえて弘めん者をば衣を
以て釈迦仏をほひ給う―
御書。語った分、功徳は大
     ◇
民音の日。人々結ぶ文化
交流で平和世紀を!推進
委員の皆様の献身に感謝

◎名字の言 子母沢?の小説『大道』と戸田先生
江戸時代の初期、土佐藩で執政に就いた野中兼山は、新田開発や産業振興などで民の暮らしを豊かにした。しかし策略によって失脚し、汚名を着せられた

▼子母沢寛の小説『大道』は、野中を描いた作品で、週刊誌で発表された。子母沢は北海道厚田村(当時)の出身。感銘を受けた同郷の戸田城聖先生は、単行本として世に出したいと伝え、1940年、大道書房を設立した

▼『大道』は短編ながら印象深い場面が多い。小説は、野中の言葉で終わる。「俺は人間の大道を歩いてきた。命がけで真面目に信念の上を歩き、誠実の上を歩いて来た」「大道を歩いて来たものは強い」。戸田先生の「不惜身命」の信念と重なる。先生が出版を強く望んだのもうなずけよう

▼道にもいろいろある。本道と枝道、正道と邪道、王道と覇道……。牧口常三郎先生と共に軍部政府の弾圧に抗して獄中闘争を貫き、戦後ただ一人、創価学会の再建に立った戸田先生には、我こそ大道を征くとの自負があった。その心を継いだ池田先生によって、世界広布の大道は今、洋々と開ける

▼11日は戸田先生の生誕120周年。「地球上から悲惨の二字をなくしたい」――畜生道の地球を、平和と共生の菩薩道の地球に変えたいとの恩師の叫びに応えることが、私たちの進むべき道である。(芯)

☆「本道と枝道、正道と邪道、王道と覇道」
枝道には少しそれたことはあるけど邪道と覇道は全くなし?
??

◎2月10日、共産党中央は国民党三中全会に対する通電を発して、共産党が国民党と国民政府の指導権を認め、その指揮権に服従することを表明し、抗日のために第二次国共合作を要求した。2月15日から開かれた国民党三中全会では、
?紅軍の取り消し
?ソビエト政府の取り消し
?赤化宣伝の中止
?階級闘争の中止
の四条件からなる赤禍根絶決議が採択され、共産党に対して表面的には非妥協的であったが、失った領土の回復、各党各派を入れた国民大会の招集、共産党の要求する和平会談の受諾が決められた。

◎北九州市(きたきゅうしゅうし)は、福岡県の北部に位置し、関門海峡に面した九州最北端の都市である。九州の玄関口として栄えた歴史を持ち、1963年(昭和38年)に門司、小倉、若松、八幡、戸畑の五市の対等合併を経て、三大都市圏以外では初の政令指定都市として誕生した。

【一年前】
◎今年最初の2ヶ月に一度の「大栄会」。
税理士受験時代から40年の仲間4人。
確定申告に向け景気付け??

☆ちょうど今夜今年最初の「大栄会」?

◎まんぷく
「一万通りのうまく行かない方法を見つけただけだ」

【二年前】
◎花子とアン
蓮子「一杯やりませんか」
嘉納伝助「………はああ?!」

「れん子…しゃん……今は幸せか」
「……はい」
「そうか………そうか」

妻「ほ、泣きよらす」

【三年前】
一昨年、夫婦で中国を旅行した時に、中国人男性ガイドが言っていたことが印象的です。
「中国にもし二つでも政党があったら必ず戦争になります。日本は1億人でも政党が10位あってまとまらないでしょう。中国13億人をまとめていくには『一つの中国』しかないんです。日本人からするとなかなか理解できないでしょうけどね」
             
                  
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

開目抄 0186〜0237

二、日蓮大聖人は末法の法華経の行者である



 つぎに、日蓮大聖人が末法の法華経の行者であると宣言せられている御文をあげよう。

 撰時抄「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(084-08)

 法華証明証「法華経の行者日蓮」(1586-01)

 顕仏未来記「我が言は大慢に似たれども仏記を扶け如来の実語を顕さんが為なり、然りと雖も日本国中に日蓮を除いては誰人を取り出して法華経の行者と為さん汝日蓮を謗らんとして仏記を虚妄にす豈大悪人に非ずや」(0507-16)。

 これらの御文は枚挙にいとまがない。しかして末法の法華経の行者とは、末法の御本仏の意であり、日蓮大聖人こそ、末法の一切衆生救済のために出現した御本仏であることを呼号あそばされたものである。

 御義口伝「如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、寿量品の事の三大事とは是なり」(0752-03)

 同「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(0760-第廿五建立御本尊の事-02)と。

 すなわち末法の法華経の行者である日蓮大聖人こそ、無作三身であり、南無妙法蓮華経如来であり、人本尊であることは厳然たるものがある。


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