2月5日(水)
長崎二十六聖人殉教の日
1596(慶長元)年のこの日、豊臣秀吉のキリスト教弾圧により、長崎西坂で26人のキリスト教徒が処刑された。
殉教したのはペトロ・バプチスタ神父ら外国人6人と三木パウロ、茨木ルドビコ神父ら日本人20人で、この26人は1862年にローマ教皇ピウス9世によって聖人に列せられた。
1649年 - 清教徒革命: スコットランド議会が、フランスに亡命中のチャールズ2世をスコットランド王に推戴すると宣言。
1913年 - 護憲運動: 政友会と国民党が桂内閣の不信任案提出、尾崎行雄が弾劾演説を行う。(大正政変)
◎早起きはやっぱり三文の徳
………今朝も窓から綺麗な朝日?
◎朝シャンしてバスルームから出たら洗面台に妻が
「あら」
妻笑いながら「見らんけん」
「さっき起きる時まだ寝てたから隣に来ようかと思ったけど」
「そげなことすると心臓麻痺起こす」
◎妻「明日から寒かごたるよ」
「………あ、ほんとだ! 0℃、マイナス………
寒い時は抱っこしてやるたい」
「よか。分厚いけん手の届かんけん」
◎相続税申告が入ってきた??
「調停で話し合いがついたので相続税申告をお願いします」
しかも相続開始後10か月以内の申告期限が今月17日(月)??
?
◎兄弟の財産分割の為の相続税評価も?
◎いよいよ忙しくなってきた??
◎大東○○、レオ○○○………
10年位してやっとちびッと黒字。10年以内で黒字申告、見たことない。業者と銀行と市町村にお金吸い上げられる。何年も赤字。“節税”と称してほとんど詐欺??
◎中森明菜27曲をスマホで聴いていると………
“ノスタルジック”に青春時代を思い出す
真面目でうぶで全くモテなかった青春時代??
でも今となってはそれが良かったかな??
◎村田製作所
「5G関連の収益が業績に与える影響が高まってきた」
◎山根 徳太郎
(やまね とくたろう、1889年1月12日 - 1973年7月28日)
日本の考古学者。文献史料に記載されていたが所在地が不明のままであった難波宮の研究を行い、難波宮の大極殿跡を発掘した。
1952年(昭和27年)の定年退官後は難波宮発掘に力を注ぎ、1961年(昭和36年)に後期・難波宮の大極殿跡を発見。難波宮大極殿発見時、「われ、幻の大極殿を見たり。」という言葉を残した。
◎マンションの空き家
一戸建てだけではく、マンションの空き家が増え、ゴーストタウン化していく??
◎寸鉄
個人主義の仏はいない―
牧口先生。徹底して一人
を励ます実践が広布の要
◇
「東洋哲学研究所の日」。
仏法の智慧で文明間・宗
教間の架橋を―使命深く
◇
「力は活動を止めた瞬間
に消える」思想家。人生
の栄冠は進み続ける人に
◎日本二十六聖人(にほんにじゅうろくせいじん)は、1597年2月5日(慶長元年12月19日)豊臣秀吉の命令によって長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者。日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われたのはこれが初めてであった。この出来事を「二十六聖人の殉教」というが、西洋諸国では「聖パウロ三木と仲間たち」とも呼ばれる。26人は後にカトリック教会によって聖人の列に加えられたため、彼らは「日本二十六聖人」と呼ばれることになった[2]。カトリック典礼上の記念日は2月5日である(なお、西洋では2月6日)。
◎清教徒革命またはピューリタン革命(せいきょうとかくめい/ピューリタンかくめい、英語:Puritan Revolution または Wars of the Three Kingdoms)は、狭義には1642年から1649年にかけてイングランド・スコットランド・アイルランドで起きた内戦・革命である。広義には1639年の主教戦争から1660年の王政復古までを含み、「大反乱」「三王国戦争」もしくは名誉革命とあわせて「イギリス革命」「ブリテン革命」とも呼ばれる。
大正政変(たいしょうせいへん)は、1913年(大正2年)2月、前年末からおこった憲政擁護運動(第1次)によって第3次桂内閣が倒れたことをさす。広義には第2次西園寺内閣の倒壊から第3次桂内閣を経て第1次山本内閣の時代までとされる[1]。
【一年前】
◎夕方
私「布団敷いたけん」
妻「頼りにしてますから」
「なんか俺の方が老々介護せんなんごつなる感じ」
「こればっかりは分かりません」
「夫婦は先にボケた方が勝ちていうから」
??????
【二年前】
◎ 福岡県はインフルエンザ日本一?
妻「お父さんはインフルエンザには
かかったこと一度もないごたるね」
「そうね」
「去年、娘かかって、私も二三日寝込んで、
息子も大阪でかかって、
お父さんだけどうもなかったから、
悔しかったあ?
よっぽど強か菌を持っているとやろね?」
「第六天の魔女、
十軍の戦で免疫のできとる……」
「なんそれ……意味のわからん」
?
【三年前】
◎大栄会
税理士受験時代からの稀有の仲間4人。
血液O型(私)、A型、B型、AB型
全員バラバラで全部揃っているのが今日始めて分かりました。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
開目抄 0186〜0237
つぎに、広く疑いをあげて、正しく法華経の行者なるを釈す段において、本抄に「されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし、定んで天の御計いにもあづかるべしと存ずれども一分のしるしもなし、いよいよ重科に沈む、還って此の事を計りみれば我が身の法華経の行者にあらざるか、又諸天・善神等の此の国をすてて去り給えるか・かたがた疑はし」とあるのをうけて、法華経の行者なることを明かされる。
このように、疑いをあげていることについて日蓮大聖人は、本抄に「但し世間の疑といゐ自心の疑と申しいかでか天扶け給わざるらん……此の疑は此の書の肝心・一期の大事なれば処処にこれをかく上疑を強くして答をかまうべし」とおおせられている。
この疑いは、本抄の肝心で、日蓮大聖人が末法の法華経の行者であるかないかとの疑いである。これは、末法下種の三徳をあらわすために設けられたものであり、末法の御本仏人本尊をあらわすためである。ゆえに日蓮大聖人一期の大事とおおせである。
この疑いをあげてのち、法華経勧持品の経文を引いて、三類の強敵をあらわし、いま三類の強敵、眼前にあるをもって、末法の法華経の行者は、大聖人以外にないことを断定された。