【寸鉄】
ここで戦い、ここで勝つ
―これ「本有常住」の仏法
の生き方。今を悔いなく
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まず“私はこうする”と
決め切るのだ―戸田先生
歴史開く率先の一人たれ
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「御書を心肝に」が学会の
魂。教授登用・教授講座が
全国で。生涯求道の人と
◎名字の言
日本人でアカデミー賞にノミネートされた特殊メークのプロフェッショナル
「技術を秘密にして、それに凝り固まってしがみついていたら、自分の成長はそこで止まってしまう」
「知識を分け合ってお互いに成長していくことが大事」
池田先生は「成長の止まった人間は、人に触発を与えることはできない。人を育てるには、まず自分が戦うことだ」と。人材育成も地域の発展も、大胆な“私自身の挑戦”から始まる。
◎雑節の一つで、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のこと。節分とは「季節を分ける」ことも意味している。江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多い。
◎慶長地震(けいちょうじしん)は、江戸時代初期の慶長9年12月16日(1605年2月3日)に起こったとされる地震・津波である。震源については諸説があり、南海沖(南海トラフ)単独地震説と南海沖と房総沖の連動地震説、遠地地震説など。津波被害による溺死者は約5,000人(1万人という説もある)だが、地震による陸地の揺れの記録が殆ど確認されないのが特徴である。また震源や被害規模も不明な点が多い。
慶長地震 本震
発生日 慶長9年12月16日(1605年2月3日)
津波 外房・遠州灘・八丈島・四国など
被害 死傷者数 死者約5000人以上(諸説あり)
被害地域 外房・遠州灘・八丈島・四国など
◎ジョン万次郎(ジョン まんじろう、旧字体:ジョン萬次郎、英語:John Manjirō、1827年1月27日〈文政10年1月1日〉 - 1898年〈明治31年〉11月12日)は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけてアメリカ合衆国と日本で活動した日本人である。アメリカ人からはジョン・マン(英語:John Mung)という愛称でも呼ばれた。土佐国(現・高知県)出身。帰国後は本名として 中浜 万次郎(なかはま まんじろう、旧字体:中濱 萬次郎)を名乗った。なお、「ジョン万次郎」という呼称は、1938年(昭和13年)に第6回直木賞を受賞した『ジョン萬次郎漂流記』(井伏鱒二)で用いられたことで広まったもので、それ以前には使用されていない。
日米和親条約の締結に尽力し、その後、通訳・教師などとして活躍した。
◎核兵器の不拡散に関する条約(かくへいきのふかくさんにかんするじょうやく、Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons、略称:NPT)[1]は、核軍縮を目的に、アメリカ合衆国、ロシア、イギリス、フランス、中華人民共和国の5か国以外の核兵器の保有を禁止する条約である。略称は核拡散防止条約(かくかくさんぼうしじょうやく)、または核不拡散条約(かくふかくさんじょうやく)とも呼ばれる。
日本は1970年2月にNPTを署名し、1976年6月に批准した。NPTを、国際的な核軍縮・不拡散を実現するための最も重要な基礎であると位置付け、またIAEA保障措置(「平和のための原子力」実現のための協定)や包括的核実験禁止条約を、NPT体制を支える主要な柱としている[10]。署名にあたり政府は、条約第10条が自国の利益を危うくする事態と認めた時は脱退する権利を有するとしていることに留意するとし、「条約が二十五年間わが国に核兵器を保有しないことを義務づけるものである以上,この間日米安全保障条約が存続することがわが国の条約加入の前提」「日米安全保障条約が廃棄されるなどわが国の安全が危うくなつた場合には条約第十条により脱退し得ることは当然」との声明を発表していた[11]。
【一年前】
◎国税局電話相談員一日目
変わった質問
Q)「イギリスの方の帰国前にイギリスの源泉徴収を会社で負担(送金)したんですけど」
A)日本の源泉徴収票には関係ないですね。
むしろそれは現物給料になりグロスアップ(逆算)して日本の源泉徴収漏れに………。
(質問内容も国際的になってきた?)
Q)平成23年に贈与税523万円を払った分の土地を売ったんですけど、贈与税は引けないんですかね。
A)お気持ちは分かりますけど………
Q)特定口座
株の譲渡が△36万円
配当が60万円で一部税金が還付
△36万円だけを来年以降に繰越せないか。
A)そうすれば一部還付になった税金をもう一度納めなければならなくなりますが。
Q)ふるさと納税の還付申告をスマホで申告したいんですけど
A)はい、今年からスマホでも申告できますので、大変難しいですけど、スマホから国税庁のHPに入ってやってみてください。
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電話合計65件!!
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【二年前】
◎朝
私「おととい、ゆめタウンで江崎(中学の時のポン友)と久しぶりにバッタリ会った」
妻「そうね」
「相変わらず彼女連れとった」
「あんまり人んこつ言わんがよかよ。墓穴掘るよ」
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「俺はそげんモテんもん」
「うちはお金でモテらすけんでけんも〜ん」
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【三年前】
2月に入り確定申告でいよいよ忙しくなってきました。今日は昼間は全く新聞も読む間もありませんでした。
妻「新聞は読まんでいいから仕事して下さ〜い!」
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開目抄 0186〜0237
日蓮大聖人は、一代五十年の諸経を判ずるに、五段の教相、すなわち五重の相対を説かれた。ゆえに本抄は、五重の相対のうえから見なければ、大聖人のご真意を拝することができないのである。
なかんずく、第五の種脱相対の教相は、文底真実を判じたもので、本抄に「但し此の経に二箇の大事あり……一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり」と。これすなわち、文底深秘の真文である。日寛上人は、この文によって三重秘伝の深義を著わし、開目抄愚記上八に「久遠下種の名字の妙法は一代経の中には但法華経、法華経の中には但本門寿量品、本門寿量品の中には但文底に秘沈するなり、ゆえに一念三千文底秘沈と云うなり」と述べられている。
この一念三千は、天台の事理の一念三千にあらず、文底秘沈の、末法下種の事行の一念三千である。
さらに日寛上人は、「竜樹天親……」以下の文を結して、正しく末法下種一念三千の、正像未弘、末法流布を示された文としている。