12月31日(火)
いよいよ大晦日(おおみそか),大晦(おおつごもり)
1年の終りの日。
除夜
大晦日の夜のこと。かつては一年の神「歳神」を迎えるために朝まで眠らずに過ごす習慣があった。
アメリカ独立戦争におけるケベックの戦い。
(1775年)
赤坂迎賓館新しい東宮御所(現在の迎賓館)が完成。
(1906年)
1931年 -
新宿に軽演劇の劇場「ムーランルージュ新宿座」が開場する。
☆前回のNHK朝ドラ「なつぞら」で紹介されました?
◎朝食してたら????
妻は食洗機のサイズを測っている。
「食洗機をもう替えんなん、もう13年もなるけん」
「え、あれからもう13年になっとかね?」
………奥さんは耳ツボダイエットで10?落とし、体重の50?以下になったご褒美に買った。??
「そうたい、10年ひと昔ていうやん」
「………13年前、49歳、まだバリバリ浮気しよった頃」
☆今日新しい食洗機が届く?
すぐ近くのヤマダ電機――設置も回収もしてくれる。
◎資金繰り表A3用紙18枚?
今年と来年の事務所の資金繰りをほぼまとめましたが、まだ「理論数値」(利益)と「実際数直」(資金)との差が合わない?
今日大晦日にまた1日かけて合わせます。
年末年始は毎年概ね事務所で“仕込み”をやっています。
☆でも、ほんのちょっと経費の見直しをしたら………
「こげ〜ん貯まると??」
――来年は本当に楽しみです?
?
◎大牟田温泉「最高の湯??」で我が家の忘年会
妻「今日は我が家の忘年会でよかたい」
私「忘年会はこれ入れて今年7本目」
娘「一年間ありがとうございました」
◎今年は
映画観劇絵画等76本?(昨年50本)
読書30冊?(累計でちょうど300冊?)(平成22年~)
題目36万遍?(累計で2789万遍?) (平成21年~)
〈今年は概ね1日15分1000遍??〉
☆一番心に残っているのは――
映画等は―― マスカレードホテル
読書―― 中国五千年の虚言史/石平
☆今年は自然と少しずつ水かさを増した一年だったかな。
皆様、良いお年を??
◎月末のことを晦日・晦と言い、年末の最後の晦日なので大晦日・大晦という。「みそか」は三十日の意、「つごもり」は月篭りが転じたもので、旧暦では毎月1日が新月であり、その前日を「つごもり」と呼んだ。
◎除夜には各家庭で年越し蕎麦が食べられ、寺では除夜の鐘が撞かれる。
除夜の鐘は108回撞かれる。眼・耳・鼻・舌・身・意の六根のそれぞれに苦楽・不苦・不楽があって18類、この18類それぞれに浄・染があって36類、この36類を前世・今世・来世の三世に配当して108となり、これは人間の煩悩の数を表すとされている。また、月の数12、二十四節気の数24、七十二候の数72を足した数が108となり、1年間を表しているとの説もある。
◎ケベックの戦い(英: Battle of Quebec)は、アメリカ独立戦争初期の大陸軍によるカナダ侵攻作戦中、1775年12月31日にケベック市を守るイギリス軍との間に行われた戦闘である。この戦闘はアメリカ側にとってこの戦争では初の大きな敗北となり、高い代償を払った。リチャード・モントゴメリーが戦死、ベネディクト・アーノルドが負傷、ダニエル・モーガンなど400名以上が捕虜になった。ケベック植民地総督のガイ・カールトンが指揮したケベックの守備隊はイギリス軍正規兵とカナダ人民兵の寄せ集めだったが、極少数の損失を出しただけだった。
◎迎賓館赤坂離宮(げいひんかんあかさかりきゅう、英 : the State Guest House, Akasaka Palace)は、東京都港区にある日本の迎賓館。
東宮御所
平成31年(2019年)4月30日までの東宮御所は、東京都港区元赤坂の赤坂御用地内に当時の皇太子徳仁親王とその家族の住居である御所として所在した。
しかし、令和元年5月1日に皇太子徳仁親王が第126代天皇に即位したあとも、東京都千代田区千代田の皇居内の御所(現・吹上仙洞御所)に移転するまでは同所に引き続き居住するため、この東宮御所は第126代天皇の御所となり、「赤坂御所」(あかさかごしょ)と改称された。なお、徳仁には皇位継承権を有する皇子たる皇太子がいないため、東宮御所は存在しないものとなった。
東京の元赤坂にある現在の迎賓館の建物は、東宮御所として1909年(明治42年)に建設された。鹿鳴館などを設計したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルの弟子にあたる宮廷建築家片山東熊の設計により、元紀州藩の屋敷跡(明治6年宮城火災から明治21年の明治宮殿完成までの15年間、明治天皇の仮御所が置かれていた。)に建てられた。しかしそのネオ・バロック様式の外観があまりにも華美に過ぎたことや、住居としての使い勝手が必ずしも良くなかったことから、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)がこの御所を使用することはほとんどなかった。嘉仁親王が天皇に即位した後は離宮として扱われることとなり、その名称も赤坂離宮と改められた。
◎ムーラン・ルージュ新宿座(ムーラン ルージュ〈フランス語: Moulin Rouge〉 しんじゅくざ、1931年12月31日 設立 - 1951年 閉館)は、戦前から戦後にかけて、かつて東京・淀橋区(現・新宿区)角筈に存在した大衆劇場である。1931年(昭和6年)に新興の街・新宿に開館し軽演劇やレヴューを上演して学生や知識層の人気を集め、多くの作家、俳優を輩出して1951年(昭和26年)に閉館した。
「ムーラン・ルージュ」とは、本家のフランス・パリのモンマルトルにある「ムーラン・ルージュ」と同様に、フランス語で「赤い風車」という意味である。