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2019.12.17

2019年12月17日 (火) 00:03
2019.12.17

12月17日(火)

飛行機の日
1903年のこの日、アメリカ・ノースカロライナ州のキティホークで、ウィルバーとオーヴィルのライト兄弟が動力飛行機の初飛行に成功した。

1865年 - シューベルトの交響曲第7番(未完成交響曲)がウィーンで初演。

1908年 - 九州電気軌道(西日本鉄道の祖)が設立。
         
            
◎一昨日東京から帰ったら、
妻「心臓が痛い、眠れないからこたつで寝る………
やっぱりお父さんのおらん時に限ってなんかある」
私「体の自然と寂しくなるとやろだい」
………朝は題目あげながら代配。
朝8時からは地区の婦人部の方々7人が拠点の大掃除に。
………
午前中、病院に。左胸の横あたり………
医師「あ、そこは心臓と違いますから…湿布を出しておきます」
………
私「そうね。それは良かった。太りすぎやろだい」
「なんが太りすぎね?太りすぎはお父さんも一緒。
………だいたいあまり心配しとらんごたるね」
「いやー心配で心配で、奥さんがいなかったら困るもん」
「よー言うよ。たーだ言よろ」
「運動不足は間違いなかね」
「カーブスにちゃんと行きよるもん………
やっぱり折伏しようとしてるから魔も競う。
ま、何事もなかったから良かった」
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◎職員の税理士試験
2科目目の財務諸表論を受けた高口君
(39歳、17年選手)
合格点が60点で59点、1点足らなかったとのこと。
私「そうね?それほどに勉強していたとは見えなかったね」

5科目目の相続税法で最終合格を期していた山下君
(42歳、19年選手)
昨年が4点足らずだったのが、今年は6点足らずに後退し、
「不甲斐ない結果になり申し訳ありませんでした。相続税のチェック、勉強になりますのでまたさせてください」


◎万葉の湯の仮眠室でのイビキ対策で
アマゾンに注文した「耳栓」が届き、
………お、これはなかなかいい?

               
◎住宅ローン控除の問い合わせ電話
「銀行から『住宅ローン控除の為の残高証明書』が届き、あと400万円ほどを一括して返済しようと思うけど、住宅ローン控除はいくらくらいになるんですか? 平成19年の居住開始ですけど」
「え、ちょっと待って下さい。通常は10年でお仕舞いなんですけど、証明書が届いているということは………ちょっと調べて折り返しご返事します」
「………あ、確かに『19年特例』というのがあって、15年間、平成33年まで控除できて、借入残高の0.4%ですね」
「なら16,000円ですか。………ありがとうございました」


◎9件目の相続税申告の仮一式完了し山下君にチェック?
明治初期の頃からの「改製原戸籍謄本」を見ているとなかなか面白い。明治生まれの長女さん、婚姻で除籍後3年で離婚しまた復籍。兄弟姉妹6人兄弟姉妹で、5人は既に亡くなっていて、下から二番目最後に1人残っていた方の甥・姪が今回の相続人で、相続税額は二割加算、期限後申告で加算税・延滞税含めて約700万円。
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◎この日には4回飛行し、1回目の飛行時間は12秒、4回目は59秒で飛行距離は256mだった。

◎交響曲第7番は、オーストリアの作曲家フランツ・シューベルトの作曲した7番目の交響曲であるが、シューベルトの後期の交響曲は何度も番号が変更されており、『交響曲第7番』が示す曲もその都度変化している。

初演は1865年12月17日、ウィーン。初演された当時、シューベルトはすでに「大家」の扱いであり、未完成の理由について多くの推察が行われたが、決定的な証拠は遺されなかった。

フランツ・ペーター・シューベルト(ドイツ語: Franz Peter Schubert[1], 1797年1月31日 - 1828年11月19日)は、オーストリアの作曲家。各分野に名曲を残したが、とりわけドイツ歌曲において功績が大きく、歌曲の王と呼ばれることもある。


◎九州電気軌道株式会社(九州電氣軌道株式會社、きゅうしゅうでんききどうかぶしきがいしゃ)は、明治末期から昭和戦前期にかけて、現在の北九州市域において軌道事業を営んでいた鉄道事業者である。略称は「九軌」(きゅうき)。法人としての西日本鉄道(西鉄)の前身であり、西鉄とは同一企業にあたる。

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第二章 平左衛門尉に国を安ぜよと諌める 
0183.08〜0184終り

立正安国論には、文応元年(1260)7月16日に、最明寺入道時頼に提出されており、そえから11年経っているため、おそらくその提出された原本の所在は不明になっていたのであろうか。あるいは平左衛門尉が披見できるところになかったためであろうか、改めて平左衛門尉に安国論を与え、その蒙を啓こうとされたのである。
 すなわち安国論は、時頼に提出されたもののほかに、大聖人の手元に写し、平左衛門尉に進呈されたものと少なくとも3通があったことになるが、現在門下に依って書写されたものほか、原本は不明となっている。
 そして、貴辺は当今天下の棟梁であり、その人がどうして国中の人材を失おうとするのかと戒められ、早く賢慮を回らして、異敵の蒙古を退けるべきであると仰せられ、世を安んじ、国を安んずることを、忠とし、孝とするのであると、平左衛門尉を諌められている。


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