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2019.11.16-2

2019年11月16日 (土) 02:05
2019.11.16

◎11・18「創価学会創立記念日」特集? 
初代会長・牧口先生の崇高な生涯

 中でも注目すべきは、同書が、日本において、世界市民や人道主義の理念を示した、先駆けの一つという点である。
 日露戦争の前年、帝国主義が世界を席巻しつつある中で、先生は「人道的競争」を提唱。人類は、軍事的競争から、政治的競争、経済的競争を経て、人道的競争へ向かうべきであると訴えた。
 この『人生地理学』出版の翌年から、牧口先生は中国人留学生のために設けられた弘文学院(のちに宏文学院)で地理学を教えている。講義は留学生の話題に。4年後には、同書の中国語訳『最新人生地理学』が上海で出版された。
 日清戦争による中国人蔑視の風潮もあったが、牧口先生は彼らをこよなく愛した。かの文豪・魯迅も同校で学んでいる。

おなかをすかせた子には、身銭を切って豆餅などを用意。弁当を持参できない児童のために、学校としてパンやみそ汁を無料で提供していく。その様子は新聞などでも紹介され、牧口先生の“米シカゴ郊外の貧民学校で行われている「ペニーランチ」を参考にした”との談話も掲載されている。

「創価のすべての門弟が、広宣流布への『不惜身命』『死身弘法』の魂を、わが生命に厳粛に燃え上がらせゆく原点の日――それが、十一月十八日である」


◎「親韓派」の狙いと正体(長谷川幸洋氏)
「まず、彼らはほぼ間違いなく『反安倍晋三政権』だ。文政権に味方するのも、実は安部政権を批判するのが真の狙いとみていい。だからこそ、彼らは憲法改正にも反対する。親韓派の正体は日本国内の反体制派である。


◎いいいろ塗装の日
11月16日。社団法人日本塗装工業会が制定。ペインティングや色彩への正しい理解と関心を深める。

◎リュッツェンの戦い(Schlacht bei Lützen)は、三十年戦争中の リュッツェンの戦い(Schlacht bei Lützen)は、三十年戦争中の1632年11月16日(旧暦11月6日)にドイツのライプツィヒ南西、リュッツェン(ドイツ語版、英語版)近郊において、グスタフ2世アドルフ(グスタフ・アドルフ)率いるスウェーデン軍およびドイツ・プロテスタント諸侯の連合軍と、アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン率いる神聖ローマ帝国軍との戦いである。

◎海洋法に関する国際連合条約(かいようほうにかんするこくさいれんごうじょうやく、英: United Nations Convention on the Law of the Sea)は、海洋法に関する包括的・一般的な秩序の確立を目指して1982年4月30日に第3次国連海洋法会議にて採択され、同年12月10日に署名開放、1994年11月16日に発効した条約である[1][3]。

◎排他的経済水域(はいたてきけいざいすいいき、英: Exclusive Economic Zone; EEZ、仏: Zone économique exclusive, ZEE、独: Ausschließliche Wirtschaftszone, AWZ)とは、海洋法に関する国際連合条約に基づいて設定される、天然資源及び自然エネルギーに関する「主権的権利」、並びに人工島・施設の設置、環境保護・保全、海洋科学調査に関する「管轄権」が及ぶ水域のことを指す。

第1項では「島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるものをいう。」と定め、本条約上の「島」についての規定がされている。即ち潮汐により海底に没する陸地は本条約上の「島」ではないと条文を解釈することができる。


◎ジョホールバルの歓喜(ジョホールバルのかんき, Delight of Johor Bahru)は、1997年11月16日、マレーシアのジョホールバルでサッカー日本代表が1998 FIFAワールドカップ・フランス大会のアジア最終予選のアジア第3代表決定戦をイラン代表と戦い、勝利を収めたことによりFIFAワールドカップ本戦初出場を決めたサッカーの試合の日本における俗称である[1][2][3]。



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第11章 仏法破壊の史実挙げ量観らの大悪を示す 
0182.07〜0182終り

講義

 次に、過去の歴史上に仏教を破壊して悪名を残している人々の例を挙げられ、しかしながら、経典によればこれらの人々は「仏法の怨敵」ではない。良観らこそ仏の正法を滅ぼす大悪人であると明かされ、本抄を結ばれている。
 はじめに、インド・西域の事例である。
毘瑠璃王
 釈尊在世当時、インド・舎衛国に毘瑠璃王がいた。彼は仏教を憎んで77000の得道の人を殺害したといわれる。また、生母が賤民であったという自身の出生について、釈迦族から辱められたのを恨んで、釈迦族を殺戮し、その数9999万人にのぼったといわれる。これを「波瑠璃王の殺釈」といい、釈尊が受けた九横の大難の一つにあげられている。
 報恩抄には「第六天の魔王…乃至提婆・瞿伽利・波瑠璃王・阿闍世王等の悪人の身に入りて或は大石をなげて仏の御身より血をいだし或は釈子をころし或は御弟子等を殺す」(0297-08)とある。


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