◎ザマの戦い(ザマのたたかい、英語:Battle of Zama)
紀元前202年10月19日に北アフリカのザマで起こったローマ軍とカルタゴ軍の戦いである。大スキピオ率いるローマ軍がハンニバル率いるカルタゴ軍を破り、第二次ポエニ戦争の趨勢を決した。
戦争:第二次ポエニ戦争
年月日:紀元前202年10月19日
場所:ザマ
結果:ローマの勝利・第二次ポエニ戦争終結
ザマの戦いに敗れたカルタゴは、スキピオに講和を申し入れた。ローマの全権代表であるスキピオは10項からなる講和条約を提示した。以下、特に重要と思われるものだけをあげる。
・カルタゴはローマの同盟国となる。
・カルタゴはローマの承諾なしには戦争を行わない。(これで実質のカルタゴは完全な自治国家とはいえなくなった)
・シチリア、サルデーニャ、スペインにおけるカルタゴ領の領有権を放棄する。
・軍船は10隻を除き全てローマに引き渡す。
カルタゴは条約を受け入れた。これによって、カルタゴは海外領土および海軍力をほぼ喪失し、ローマの地中海における覇権が確立することとなった。
◎ヨークタウンの戦い
(ヨークタウンのたたかい、英: Battle of Yorktown)
バージニア植民地東岸のグレートブリテン王国(イギリス)軍最終拠点であったヨークタウンにて、米仏連合軍がチャールズ・コーンウォリス率いるイギリス軍約7,000を包囲、降伏させた。この戦いによって、アメリカ独立戦争における植民地軍の勝利は確定し、独立戦争は事実上の終結を見た。
1781年5月22日、フランス軍のロシャンボー将軍が大陸軍のワシントン将軍と会談し、イギリス軍に対する作戦を練った。彼らはイギリス軍に占拠されているニューヨークを奪回する作戦を考えていた。
10月16日、イギリス軍はフランス軍の砲兵隊に攻撃を挑んだが失敗した。前線が近づいた以上、連合軍の砲火はイギリス軍の陣地の中にも直接降り注いでいた。その夜、ヨーク川を渡ってグロウスターに脱走が試みられたが、ひどい嵐のために失敗した。コーンウォリスの軍は食料も弾薬も底を突きかけており、10月17日、遂に降伏を申し出た。10月19日、調印が行われ、正式に降伏した。約7,000名のイギリス軍が捕虜となった。なお、救援部隊を載せた英艦隊が到着したのはその5日後の10月24日であった。
◎1812年ロシア戦役
(フランス語: Campagne de Russie, ロシア語: Отечественная война)
1812年に、ロシア帝国が大陸封鎖令を守らないことを理由にフランス帝国のナポレオン1世がロシアに侵攻し、敗北、退却するまでの一連の歴史的事件のことである。ロシア語の呼称については下記参照。
フランス軍は冬を前にロシアの打倒と食糧の入手のいずれにも失敗し、ナポレオンは進退に窮した。3度に及ぶ和議提案も空しく、フランス軍は灰燼に帰したモスクワ市街で無為な時間を過ごした。さらにフランス軍をモスクワ市街から追い出そうとするロシア軍の展開を受け、10月19日、ナポレオンはモスクワからの退却を開始した。ナポレオンはモスクワ撤退の際、モルティエ将軍にクレムリンや公共建造物の爆破を命令したが、大雨とロシア兵の到着のため、3つの塔、城壁の一辺、兵器庫の一部の破壊にとどまった。
☆序曲『1812年』
(じょきょく1812ねん、露: Торжественная увертюра ?1812 год?)変ホ長調 作品49
ピョートル・チャイコフスキーが1880年に作曲した演奏会用序曲。タイトルの「1812年」はナポレオンのロシア遠征が行われた年である。大序曲『1812年』(だいじょきょく-)、荘厳序曲『1812年』(そうごんじょきょく-)、または祝典序曲『1812年』(しゅくてんじょきょく-)などと呼ばれることもある。チャイコフスキー自身は決して精魂を込めて書き上げた作品とは受け止めてはいなかったものの、歴史的事件を通俗的に描くという内容のわかりやすさによって、人々に大いに喜ばれる作品となった。
◎「個人版事業承継税制」
税理士会全国統一研修会
10:30~16:30ハイネスホテル久留米
☆要件が厳しくて使えない?参加者も少ない?
「特定事業用資産」
前年分の事業取得(略)に係る青色申告申告者(略)の貸借対照表に計上されているものに限る。
例)妻名義の財産で経営している医師
妻に家賃を払っても費用には認められないが、
奧さん名義の資産も旦那さんのBSに載せないといけない??
簿価をいくらにするかも議論?
「同種又は類似の事業」………中分類以上の同区分せ
内科医と歯科医は小分類は違う⇒中分類
現預金も………特定資産になる?
八百屋をやめて不動産賃貸業………ok!!
「現物出資して会社を設立」
………既存の会社への現物出資は除く
………税理士法人、医療法人もダメ
債務………分割協議の工夫が必要
☆後継者の死亡までの保有継続・事業承継が要件………厳しい??
債務控除の乱用?………当局も問題意識?
事業承継しない者への波及?
小規模宅地等の特例………相続後10か月過ぎたら売却可能?
制度の適正性について会計検査院から指摘
相続開始後、新たに貸付事業の用に今日された宅地等は「貸付事業用宅地等」から除かれる。
☆教育資金1500万円の非課税
贈与税1500―110=1390万円×40%-190=366万円1500×55%=825万円の相続税――これでも節税?
教育資金贈与………20万件………1兆4,333億円
結婚資金贈与………5409件………159億円
「配偶者居住権」を使うかどうかは慎重に?
譲渡所得税、贈与税がかかる場合も
遺留分侵害は「金銭債権」になる?
〜 令和元年6月………相続税
令和元年7月〜譲渡所得税?
諸外国は生前贈与と相続は一体課税
………過去の贈与と言わせない
………2年後を目処に見直し
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第七章 律宗を誑惑の法と論断する 0181.07〜0181.13
末法の戒に小乗の戒を守ることについて、大聖人は次のように仰せである。
四信五品抄に「教大師未来を誡めて云く『末法の中に持戒の者有らば是れ怪異なり市に虎有るが如し此れ誰か信ず可き』云云」(0341-11)と。
この末法において戒を持っているという者がいたら怪異の者であり、町の中に猛獣の虎が放たれているようなものである、とされている。
すなわち、末法に「小の戒律」を説き、自ら戒律の僧と称する者は、外見上、形式的に威儀を正し、持律に似た像をしているだけで、仏法に無智な衆生に「真実の仏法者」のごとく思わせるためのものにすぎない。末法においては妙法を受持することが唯一の戒であるとされるのである。