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2019.10.13

2019年10月11日 (金) 01:49



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第六章 禅天魔への論難に答える

講義

次に、訴状に「禅宗は天魔波旬の所説である」と述べていることに対し、反論されている。ここに挙げられている訴状の内容は、先の行敏初度の難状の「禅宗は天魔の説・若し依つて行ずる者は悪見を増長す」(0179-03)にあたる。これもまた、大聖人は繰り返し言われていることであるが、決して「私の言」ではなく仏の言であるとして、経証を引いて道理を示されている。

禅宗では「教外別伝」などと主張している。すなわち「仏法の神髄は一切経の外にあり、それは釈尊が涅槃の時に経文に依らずに、別に迦葉に付嘱した。その法を伝承しているのが禅宗である。釈尊の真意は経典ではなく、経典によって法を求めても仏法の神髄は得られない。経文によらないで座禅することによって悟りは得られるのである」と主張している。そこから、経典を「月をさす指」と言い、月をさしてしまえば指は必要ないように、経文などは不要であるとしているのである。

大聖人は、この説に対して、涅槃の直前に説かれ「仏の遺言」ともいうべき涅槃経の戒めを引いて打ち破られている。涅槃経には「若し仏の所説に順わざる者有らば当にしるべしこの人はこれ魔の眷属なり」とある。つまり、自分が説いた経教にしたがわない者があれば、それは魔の眷属であるとの意である。この仏の金言によれば、禅宗の「教外別伝」という主張こそ、魔の所説であることは明らかであり、大聖人が禅宗を天魔と言われるのは、まさしく仏説によっておられるのである。


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