おはようございます??
10月9日(水)
1964年(昭和39年)10月9日
私7歳の時。
我が家の入信55周年です?
拠点40年。
来月より同時中継会場として使って頂くことになりました。
令和元年5月5日に霊山に旅立った母も喜んでいると思います。
1956年(昭和31年)10月9日
山口開拓闘争の開始日。3ヶ月で10倍に?
(聖教10/7で知りました)
9月初めの時点で、東京が10万、関西が6万という世帯に対し、山口県は430世帯に過ぎなかった。
10月、そこに私は飛び込んだ。そして翌年1月には、約10倍の「4073世帯」へと大飛躍を遂げることができたのである。
戸田第2代会長は、名誉会長に厳命した。「中国が遅れている。中国の広宣流布を開拓せよ!」と。「わかりました!」――恩師の師子吼に電光石火で決起した。ここから「大阪の戦い」に続く、「山口開拓指導」が展開されたのである。
同年9月5日【私の誕生日!】
『若き日の日記』につづっている。
「来月より、山口県、全面折伏の指示あり。小生、総指令……。義経の如く、晋作の如く戦うか。歴史に残る法戦」
10月9日【私の入信記念日!】
名誉会長は、拠点の下関の旅館に。派遣員と地元メンバーに、まず呼びかけた。「勤行を一緒にしましょう」と。その後「四信五品抄」を講義。“深き祈り”と“御書根本”から、歴史的闘争は開始された。
1446年(世宗28年)9月10日
李氏朝鮮国王世宗がハングルの解説本『訓民正音』を頒布。(ハングルの日)
「ハングル」の呼称を用いるのは1900年代に入ってから。
☆朝鮮の学校教育で朝鮮人に初めてきちんとハングルを教えたのは日本人???
1905年(明治38年)10月9日
平民社解散
日露戦争の最中、
日露社会主義連帯を訴えたが活動2年で解散
1989年(平成元年)10月9日に
日本コンベンションセンター開場
2005年、幕張メッセに改称
◎友より
なんと素晴らしい栄誉でしょう!??猿渡先生をはじめ奥様ご家族の長年のご信心の賜物ですね!ほんとうにおめでとうございます! 亡くなられたご両親も喜ばれておられるでしょう、地区同志の皆様も大歓喜でしょう、正に猿渡家は未来永劫 盤石に栄える広宣流布の 歴史に残る広布城ですね???
【一年前】
●桜島のTシャツ
妻「絵柄の付いている方が前とたい」
私「…う〜ん何か首がきついと思ったもん…
あ、やっぱしこれ前後ろ反対やった」
「あははは( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
そうやろ、何かおかしかと思ったもん………
もうしっかりしてよ」
?
【二年前】
●ダンテ
本日の新・人間革命「暁鐘三十二」
ダンテの神曲は私が最も深く感動した書物です。
地獄篇の最後の部分・結論
−−人類の悪魔大王は、人類を鍛える為に、次々と極悪(子分)を、地の最下層から地球に送り続けている?
?
日顕も金正恩も人類の悪魔大王の子分?
南無妙法蓮華経?
●伊勢神宮へ
(九州北部税理士会大牟田支部旅行)
参拝前−−
私「参拝する時『南無妙法蓮華経?』と大きな声で唱えたらひんしゅく買うでしょうね」
三小田さん
「あはは……そりゃそうでしょうね?」
?南無妙法蓮華経?
参拝後−−
三小田さん、肩をポンと叩いて
「お題目唱えました?心の中で」
私「いえ、小さい声で、いつものように手を合わせて、『南無妙法蓮華経』」
●日蓮大聖人
御書で何か記述がないかな?
−−ありました?
「伊勢」で検索したら7件も!!
念仏者追放宣旨事 88ページ
右我が朝は神国なり神道を敬うを以て国の勤めと為す謹んで百神の本を討ぬるに諸仏の迹に非ること無し、所謂『伊勢』大神宮・八幡・加茂・日吉・春日等は皆是れ釈迦・薬師・弥陀・観音等の示現なり
諫暁八幡抄 582ページ
安芸の国いつく島の大明神は平家の氏神なり平家ををごらせし失に『伊勢』太神宮・八幡等に神うちに打ち失われて其の後平家ほどなく・ほろび候いぬ此れも又かくのごとし。
新尼御前御返事 906ページ
而るを安房の国・東条の郷は辺国なれども日本国の中心のごとし、其の故は天照太神・跡を垂れ給へり、昔は『伊勢』の国に跡を垂れさせ給いてこそありしかども、国王は八幡・加茂等を御帰依深くありて天照太神の御帰依浅かりしかば、太神・瞋りおぼせし時・源右将軍と申せし人・御起請文をもつて・あをかの小大夫に仰せつけて頂戴し・『伊勢』の外宮にしのび・をさめしかば太神の御心に叶はせ給いけるかの故に・日本を手ににぎる将軍となり給いぬ、此の人東条の郡を天照太神の御栖と定めさせ給う、されば此の太神は『伊勢』の国にはをはしまさず安房の国東条の郡にすませ給うか、例えば八幡大菩薩は昔は西府にをはせしかども、中比は山城の国・男山に移り給い、今は相州・鎌倉・鶴が岡に栖み給うこれも・かくのごとし。
神国王御書 1,516ページ
国主をたづぬれば神世十二代は天神七代地神五代なり、天神七代の第一は国常立尊乃至・第七は伊奘諾尊男なり、伊奘册尊妻なり、地神五代の第一は天照太神・『伊勢』太神宮日の神是なりいざなぎいざなみの御女なり、
諫暁八幡抄 588ページ
大隅の正八幡宮の石の文に云く「昔し霊鷲山に在つて妙法華経を説き今正宮の中に在て大菩薩と示現す」等云云、
………
本地は釈迦如来にして月氏国に出でて正直捨方便の法華経を説き給い
産湯相承事 879ページ
我が釈尊・法華経を説き顕し給いしより已来十羅刹女と号す、十羅刹と天照太神と釈尊と日蓮とは一体の異名・本地垂迹の利益広大なり
日眼女造立釈迦仏供養事 1,187ページ
天照太神・八幡大菩薩も其の本地は教主釈尊なり