◎386世代
(さんはちろくせだい、朝鮮語:386??、英語:386 Generation)
韓国における特定の世代を指す用語。広義的には1990年代に30代(3)で、1980年代(8)の民主化運動に関わった1960年代(6)生まれの者を指している。
名称の由来は冒頭文章で取り上げた理由以外に、1980年代後半に発売されていたインテルのi386プロセッサ搭載PCを「386コンピュータ」等と呼んだことにちなんでつけられたとする説もある(当時はi486プロセッサが登場しており386はすでに旧式であった)。
386世代は左派の比率が他世代よりも高い。韓国では右派も民族主義だが、李承晩のアメリカ選択や朴正煕、全斗煥時代の経済成長を評価している。韓国の右派は日本を嫌うが、北朝鮮との比較では北朝鮮を嫌う。 韓国の左派は韓国、特に右派政権時の韓国を「失敗した国家」「人権弾圧国家」とするが、北朝鮮には融和的・擁護するほど民族主義が強い。
◎じんじ-ふせい【人事不省】
まったく知覚や意識を失うこと。重病や重傷などで意識不明になり、昏睡こんすい状態になること。▽「人事」はここでは、人のなしうることの意。「不省」はわきまえない、かえりみない意。
句例人事不省に陥る、人事不省の重体用例暫時しばらくの間、人事不省に陷おちたが、気がついて見ると、ユキも私の傍そばに崩れ倒れて、<嘉村礒多・神前結婚>類語前後不覚ぜんごふかく
◎大和堆(やまとたい)
日本海中央部に位置する浅い部分(堆、海底山脈)である。最も浅い部分で水深236mであり、日本海有数の好漁場となっている。
ユーラシア大陸東縁に沿って直線的な形でくっついていた古日本列島が、新第三紀に入って大陸から分離される際、日本海の拡大のために発生した海嶺の跡である。現在は活動していない。
◎訓民正音(くんみんせいおん、????)
李氏朝鮮の世宗が制定した文字体系ハングルの古称、あるいはそれについて解説した書物のことをいう。ここでは主として書物のことについて説明する。
訓民正音とは、「民を教える正しい音」という意味である。世宗は、それまで使用されてきた漢字が、朝鮮語とは構造が異なる中国語表記のための文字体系であるために、多くの民衆たちが学び使うことができない事実に鑑み、世宗25年(1443年)に、朝鮮語固有の表記にふさわしい文字体系を古篆字体を模倣し、これを訓民正音と呼んだと現在は解釈されている。
世宗28年(1446年)に鄭麟趾らが、世宗の命を受けてこの新しい文字について説明した漢文解説書を刊行したが、その本の名称が『訓民正音』である。
李氏朝鮮時代は清の従属下にあり、漢字が重視される一方、ハングルは書簡や詩歌での使用に限られ、公文書に採用されることはなかった。燕山君の時期にはハングル使用者への弾圧も行われた。李朝末期の1886年になって開化派と井上角五郎の協力により朝鮮で初のハングル使用の新聞・公文書(官報)である『漢城周報』が発行された。また、一般人(特に女子)のための教育機関は皆無で、大多数の朝鮮人は読み書きができない状況だった。
日本併合時代の学校教育における科目の一つとしてハングルと漢字の混用による朝鮮語が導入されたため、朝鮮語の識字率は一定の上昇をみた。
1911年に朝鮮総督府は、第一次教育令を公布し、朝鮮語は必修科目としてハングルが教えられることとなった。朝鮮語の時間以外の教授言語としては日本語が使用された。総督府は1912年に、近代において初めて作成された朝鮮語の正書法である普通学校用諺文綴字法を作成し、1930年には児童の学習能率の向上、朝鮮語の綴字法の整理・統一のための新正書法である諺文綴字法を作成し、それを用いた。
◎平民社(へいみんしゃ)
明治日本で、非戦論を中核として結成された社会主義結社。中心人物は幸徳秋水と堺利彦。『平民新聞』は同社が発行した週刊新聞。
日露戦争非戦の主張は官憲に目をつけられることとなり、戦争終結後の1905年(明治38年)10月9日、平民社は活動2年足らずで解散することになった。
◎幕張メッセ(まくはりメッセ、英:Makuhari Messe)は、千葉県千葉市美浜区の幕張新都心に位置する日本最大級のコンベンション・センター。国際展示場2棟11ホール、国際会議場、幕張イベントホールを有するアジア地域有数の国際見本市会場及びMICE施設。国際展示場の正式名称は千葉県日本コンベンションセンター国際展示場[条例 1]。
老朽化及び交通利便性が不遇であった東京国際見本市会場(閉場)の代替並びに幕張新都心開発の一環として、1989年(平成元年)10月9日に千葉県日本コンベンションセンター国際展示場(幕張メッセ国際展示場)が千葉県千葉市美浜区中瀬二丁目1に完成した。同月、第28回「東京モーターショー」が幕張メッセ国際展示場で開催され、史上最高の15カ国が参加。約192万人が訪れた[4]。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
行敏訴状御会通
第五章念仏無間の論難に答える
次に法華経譬喩品第3の文を挙げられている。「経を読誦し所持すること、有らん者を見て、軽賎憎嫉して、結恨を懐かん。此の罪報を、汝今復聴け、其の人命終して、阿鼻獄に入らん」とある。「阿鼻獄」とは無間地獄である。
「大覚世尊但観経念仏等の四十余年の経経を説て法華経を演説したまわずんば三悪道を脱れ難し」の御文は、最初の方便品の文を受けて述べられたものである。釈尊であっても、ただ観経や念仏等の「四十余年未顕真実」の経々だけを説いて、真実の法華経を説き明かさなかったならば、もの惜しみの慳貪の罪によって地獄・餓鬼・畜生等の三悪道をまぬかれがたいのである。
法華文句巻4下には慳貪は餓鬼道に堕ちる因であると説いているが、それを含めて「三悪道」と言われているのであろう。またこの文は、仏自ら悟った無上道、大乗平等の法を説かないでいることだけで、慳貪の罪に堕するのであるから、ましてや、大乗平等の法である法華経を誹謗すれば無間地獄に堕ちるのは当然である。