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2019.9.30-2

2019年09月30日 (月) 00:16
2019.9.30-

◎比叡山焼き討ち(ひえいざんやきうち)
元亀2年9月12日(1571年9月30日)に現在の滋賀県大津市の比叡山延暦寺で行われた戦い。この戦いで織田信長は僧侶、学僧、上人、児童の首をことごとく刎ねたと言われている。またこの戦いはルイス・フロイスの書簡にも記載されている。一方、近年の発掘調査から、施設の多くはこれ以前に廃絶していた可能性が指摘されている。


◎『魔笛』(まてき、独: Die Zauberflöte)K. 620は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが1791年に作曲したジングシュピール(歌芝居、現在では一般にオペラの一種として分類される)。モーツァルトが生涯の最後に完成させたオペラである。

シカネーダーは、当時仕事がなく生活に困っていたモーツァルトに大作を依頼した。モーツァルトは1791年の3月から9月にかけて作曲を進め、プラハでの『皇帝ティートの慈悲』の上演のため中断を経て、9月28日に完成させた。当時妻コンスタンツェがバーデンへ湯治に出ており、モーツァルトは一人暮しをしていたため、シカネーダーは彼にフライハウス内のあずまやを提供した(このあずまやはザルツブルクの国際モーツァルテウム財団の中庭に移設され現存する)。

初演は1791年9月30日、ヴィーデン劇場で行なわれ、大好評を博した。モーツァルトはバーデンの妻に「アントニオ・サリエリが愛人カヴァリエリとともに公演を聴きに来て大いに賞賛した」と手紙を書いている(10月14日)。

同じ年の12月、死の床にあったモーツァルトは時計をみながら当日の上演の進行を気にしていたという(フリードリヒ・ロホリッツのモーツァルト逸話集:1798年)。

◎財閥解体(ざいばつかいたい)
国際政治方針で財閥などの巨大企業が解体される現象である。

日本では、1945年より1952年にかけて行われた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領政策の1つ。→本項で詳述する。
ドイツでは、1947年より1951年にかけて連合国がIG・ファルベンインドゥストリーを解体した。
韓国では、1997年に発生したアジア通貨危機によって生じた財閥解体。→IMFによる韓国救済#財閥解体を参照。

9月23日の三菱本社を皮切りに、委員会は指定5社に、委員会が譲り受けるべき財産内容を通知し、10月8日(三井本社、三菱本社)、10月16日(住友本社)、10月29日(安田保善社、富士産業)の3回に分けて第1回有価証券譲受を執行した。この時5社から譲り受けた有価証券総額は15億8684万円に及び、これは5社が保有する有価証券総額の約78パーセントに及んでいた。

並行して5社に対する解散勧告も行われ、三井本社、三菱本社、安田保善社は9月30日に解散、委員会の監督下で清算に入った。11月いわゆる会社証券保有制限令(会社ノ証券保有制限等ニ関スル勅令)が出された。



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行敏訴状御会通 
第五章念仏無間の論難に答える

次に法華経譬喩品第3の文を挙げられている。「経を読誦し所持すること、有らん者を見て、軽賎憎嫉して、結恨を懐かん。此の罪報を、汝今復聴け、其の人命終して、阿鼻獄に入らん」とある。「阿鼻獄」とは無間地獄である。

「大覚世尊但観経念仏等の四十余年の経経を説て法華経を演説したまわずんば三悪道を脱れ難し」の御文は、最初の方便品の文を受けて述べられたものである。釈尊であっても、ただ観経や念仏等の「四十余年未顕真実」の経々だけを説いて、真実の法華経を説き明かさなかったならば、もの惜しみの慳貪の罪によって地獄・餓鬼・畜生等の三悪道をまぬかれがたいのである。

法華文句巻4下には慳貪は餓鬼道に堕ちる因であると説いているが、それを含めて「三悪道」と言われているのであろう。またこの文は、仏自ら悟った無上道、大乗平等の法を説かないでいることだけで、慳貪の罪に堕するのであるから、ましてや、大乗平等の法である法華経を誹謗すれば無間地獄に堕ちるのは当然である。

ゆえに、この二つの罪を犯している念仏の徒は「末代凡夫一生の間但自らも念仏の一行に留り他人をも進めずんば豈無間に堕せざらんや」と仰せのように、無間地獄に堕ちることは間違いないのである。


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