30年来の税理士仲間
ママとのデュエットは最高???
決して奥さんには見せられない写真??
2か月ぶりの大栄会から帰り、
そのまま朝まで寝ていました。
お酒がだいぶ弱くなりました。
おはようございます??↑24℃↓20℃
8月31日(土)
学生部の日
1962年(昭和37年)8月31日のこの日、池田大作名誉会長(当時・会長)が学生部の代表に「御義口伝」講義を開始した。講義は5年間に及んだ。
1976年(昭和51年)「学生部の日」に制定。
「御 義 口 伝
南無妙法蓮華経
御義口伝に云く南無とは梵語なり此には帰命と云う………」
ヘンリー6世(1421-1471)、
生後9ヶ月でイングランド王に即位
1422年8月31日 - 1461年5月4日、フランス王も兼ねた。
英露協商が締結され三国協商成立1907年8月31日
◎「目的は“人を残す”こと」??
キリンビール布施孝之社長
(挑戦するトップ大塚英樹)
◎プラットホーマー(platformer)
商取引や情報配信などのビジネスを行う者のために、その基盤や環境を構築し、提供する事業者。具体的には、そのためのウェブサイト・ソフトウエア・製品・サービスを提供する大手通信事業者・コンピューター関連企業・IT企業などを指す。プラットフォーマー。PF。
【一年前】
●夕飯時??
妻「どうもやっぱりお父さんの方が私より長生きするごたるばい。お父さんの方が元気があるもん」
私「俺もそう思う。でけんばい」
「でけんと言ってもしょうがないたい。お父さんの方が長生きして初めて私の有り難みがわかる」
?
私「俺の方が長生きしそうだということは、俺の信心のまだ足らんということばい」
妻「お??? えらい謙虚に。どげんした」
「どげんしたもそげんしたも、そん通りやん。夫婦100歳まで、かつ、俺が奥さんよりも一日も早く死ぬように毎日祈っているから」
??
【二年前】
●朝から3連発
妻「パッと目覚めたら目の前にお父さんの顔? ビックリしたよ。布団もう少し離らかして敷いてよ」
?
「うちも夫婦別室でもいいけどね、やっぱり一緒でないといかん?」
?
「もうお互い、夜中発作が起きたとき横にいると心強いから、それだけたい」
?
◎ヘンリー6世
1421年12月6日、ヘンリー5世とキャサリン夫妻の唯一の子としてウィンザー城で誕生し、1422年8月31日、生後9ヶ月で父の死によりイングランド王位を、2ヶ月後の10月には母方の祖父であるシャルル6世の死により、1420年のトロワ条約に従ってフランス王位を継いだ。当時20歳の母はシャルル6世の娘として疑惑の目を向けられ、息子の養育に十分な役割を果たすことは許されなかった。
◎三国協商(さんごくきょうしょう、英語: Triple Entente、フランス語: Triple-Entente、ロシア語: Антанта)
19世紀末から20世紀初頭においてイギリス・フランス・ロシア帝国の各国の間で締結された、露仏同盟・英露協商・英仏協商によって作られた三国の協調関係を指した言葉。英仏露協商ともいい、独墺伊同盟と対立し、第一次世界大戦の主要な交戦国となった。
◎1906年より、イズヴォリスキー外相と駐露英国大使(英語版)サー・アーサー・ニコルソンの間で交渉が行われ、1907年8月31日、サンクトペテルブルクにて英露協商が成立した。これによって、既に成立していた露仏同盟、英仏協商とあわせ、三国協商が成立した。
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行敏御返事
文永八年七月 五十歳御作 与浄土僧行敏
行敏初度の難状
この難状は行敏が日蓮大聖人に問答を挑んできた、個人的な私信の体をなしているが、当然、行敏の背後には鎌倉仏教界の中心をなしている極楽寺良観・念阿弥陀仏良忠・道阿弥陀仏等が策謀していたことが考えられる。このことは大聖人も見抜かれて、このあとの行敏訴状御会通では、冒頭に「当世日本第一の持戒の僧・良観聖人並びに法然上人の孫弟子念阿弥陀仏・道阿弥陀仏等の諸聖人等日蓮を訴訟する状に云く」(0180−01)と、訴状が名目上行敏ではなくこの三人であることを明記されているのである。
彼らは行敏を使って大聖人に法論を挑み、大聖人を陥れようとした。その場合、自分たちは表面に出ないほうが何かと都合がよい。もし行敏が勝てば、それこそ大々的に宣伝できるし、それをもって大聖人およびその門下を逮捕・処罰することもできるし、もし敗れても、私的な法論であるから、自分たちは何の傷もつかない。良観らはそのために行敏を用いたと考えられる。
大聖人はもちろん、その奸計を見破られ、行敏の難状に対して7月13日、実に簡潔な、急所を突く返信を送られた。まず、「私の問答は事行き難く候か」と述べ、個人的な私的問答は無意味であると斥け、むしろ、彼らの意図を逆手にとって、「上奏を経られ仰せ下さるるの趣に随つて是非を糾明せらる可く候か」と、すなわち幕府へ上奏したうえで、幕府の意向にしたがって、ことの是非を糾明されるべきであろうと言われている。あくまでも公的な土俵の上で問答対決しようということである。そして、「此の如く仰せを蒙り候条尤も庶幾する所」と記され、日蓮としては、公場において対決することが希望である、と仰せである。
大聖人は、行敏からの「難状」をチャンスととらえ、私的法論をもくろむ彼らの陰謀を破るだけでなく、彼らの方から幕府に対して公場対決を申し立てよと言って、繰り返されているのである。